2024年1月27日土曜日

二十歳の集い~浪速に戻る!

 好きな物語のストーリーに「父帰る」がある。大正6年(1917年)に発表された菊池寛の有名な戯曲で全一幕、今まで3度映画化され、又舞台化もされている、名作中の名作だ。明治40年頃のことで、かつて家族を顧みずに家出した父が、20年ぶりに“落ちぶれ果てた姿”で戻って来た。母と次男と娘はこれを温かく迎えたが、貧困と闘いつつ一家を支え、弟妹を中学まで出した長男、賢一郎は、決して父を許さず、仕方なく父は家を去る。しかし哀願する母の叫びに賢一郎は翻意、弟を連れて狂ったように父を追う。菊池寛の故郷、高松市には菊池寛通りがあり、ここに父帰るの銅像がある。このように「帰る」には何か悲しい響きが残る。帰ると言う言葉は微妙で、余り使いたくない。 

今日は第7回目となる「浪速学院 二十歳の集い~浪速に戻る」の日で、273人も集まってくれた。当初は単に“二十歳の集い”だけの名称だったが一昨年から私の強い思いから「浪速に戻る」と付け加えた。ここに意味があると考え、“戻る”を強調したかったからである。「浪速に帰る」も考えたが、ここはやはり「浪速に戻る」が正解と思った。日常生活で、 "帰る" というと菊池寛ではないが“ home” を意味し、家に帰る(帰宅)、故郷に帰る(帰郷)だ。これに対して家に"戻る"という場合、通常、一旦戻って、その後また外出する意味を含む。以下のような会話で考えれば分かり易い。学校で仕事が終わり、仲の良い独身同士のA先生とB先生が会話している場面だ。

 A: 「これからどうする?一杯飲みにでも行く?」

 B: 「僕は家に帰るよ。」

 A: 「そうだね。まだ明日も仕事だし。それじゃ、また明日。」

 B:「お疲れ様でした。」

これに対して:

 A: 「これからどうする?一杯飲みにでも行く?」

 B: 「僕は一旦家に戻らないいけない用事があるんだ。」

 A: 戻るって、その後、どこか出かけるの?」

 B: 「一旦家に戻って、お土産を持ち、親戚のところに行く用事があるんだ。」

 A: 「そうなんだ。忙しいな、あまり無理するなよ。じゃぁ、また明日。」

本校の卒業生が”落ちぶれ果てた姿”で母校に帰ってきてくれては当方も困る。母校に戻って旧師や同級生と旧交を温め、そして大学に戻って焦眉の急、就職活動をして貰わないといけない。あくまで浪速高校は通過点であり、通り道である。この学年は私が入学を許可し、卒業は今の飯田校長先生が卒業証書を渡した学年である。感慨一入のものがある。私は「ウエルカム・スピーチ」でぼつぼつ社会を広く俯瞰し考え方の幅を広げる必要があると述べ、「公の中に一生懸命に生きる」という重要さを強調した。可愛い教え子への恐らく最後になるかも知れない訓示である。立派な社会人となって社会の一隅で足元を照らすような人物になって欲しいと思う。その為には生涯勉強であり、その過程での「失敗から学べ!」と述べた。単に夢みるだけの大人になってはいけない。「我慢、忍耐、辛抱、そして努力に努力」こそが重要であると強調した。今私の目の前にいる20歳になった若者が本校卒業生の看板を背負ってどのようなこれからの人生を送ってくれるのかと思うと目頭が熱くなった。今日は弾けて笑いこけ、楽しそうにはしゃいでいる卒業生を見て「頑張れ、凹むな!我が教え子よ!」と心の中で叫んだ。