1月13日を初日に5日連続して始まった浪速中学校の入試作業は本日で第一ステージが終わった。今日でほぼ体制が判明したと言える。今年の入学者はほぼ昨年並みで「歴代2位の入学者数」となる見込みである。何故に見込みかというとまだ微増減が有るのは今までの通例であるから。今日から暫く間が空き、「2月2日」に本当に最後の最後として、「2月特別選抜入試」を計画している。「やはり浪中に行きたい」と小学校6年生が親に言えば保護者はそれを受け入れるし、民間会社にお勤めのお父さんが転勤で大阪に一家をあげて引っ越すなど理由は様々である。本校も私立学校として、それらを受け入れる柔軟な体制を敷いており、私の強い意志で2月まで門戸を開いているのである。その昔は少ない生徒数にも関わらず2月入試などしていなかった。「貪欲な学校ではなくて社会に誠実な私立中学でありたい」からだ。中学入試が無事に終わり満足できる数値は私の心を豊かに満たしてくれている。
1月7日の本校教員の結婚式から10日程経ったが、未だにあの時の雰囲気が蘇る。私の場合、主賓の祝辞は原稿など用意しないし、その時の雰囲気で話すのだが最近は幾分「トーク気味」になってくる。笑いを取ろうと芸人さんみたいになる時がある。まぁ時に、私立の理事長は有る面、役者さんや芸人さんで良いのではないかと思うこともある。あの時も場を和ませるために新婦の勤務先学校の最寄りの駅名が「放出駅(はなてん駅)」でありこれを「はなてん」と読める人は関東人にはほぼいない。これを私は祝辞の中間ほどで持ち出した。夫婦円満の秘訣は「我慢、忍耐、思いやり」等々と形通りの話の最後に新郎に対して、私は放出を「ほうしゅつ」と読んで新婦奥様から「くれぐれも家から放出されないように!」と笑いを取りに行ったのである。これが結構受けて会場は笑いに包まれ、後日、新郎は学校でも「あれは良かった、私も親戚も云々・・」と言ってくれている。
放出の語源は調べてみると「はなちだす」が訛って、「はなてん」になったと日本書紀は説明する。地形が由来とする説もあり、大和川の氾濫を防ぐため、水を流す樋を作った際、この地が放出口であったのだという。
古い大阪の方言で、暗渠を「放出(はなで)」と言うのだとか。とにかく大阪には、奈良や京都に都が開かれる以前、大和朝廷が拠点を置いていたという古い歴史を持ち、朝鮮半島から多くの渡来人が移り住んだ地でもある。そのため、太古の地形や神話・伝承、朝鮮の言葉に由来する難読地名が多く残っているらしい。住道矢田(すんじやた)、遠里小野(おりおの)、茨田大宮(まったおおみや)、道修町(どしょうまち)、河堀口(こぼれぐち)など私は当初正しくは読めなかった。
今日は公認会計士の先生がご来校して会計監査があった。まず最初に理事長の私が現状と近未来の事業などの計画を話しすることから始まる。13時からは1月27日からオーストラリア1名、3ケ月、カナダ3名6カ月間の短期留学生への「激励金授与式」があった。今回から激励金の授与は校長先生から執行して貰うことにした。学院長の私は介添に回ることにした。これが適切な形だと判断したからである。15時には制服メーカーのトンボさんの社長さんが新年の挨拶に来て下さった。立派な社長さんで私もお会いすることを楽しみにしているのだが、4月の入学式には真新しい制服に身を纏った中高合わせて約1150着もの制服を短期間に製造して頂かないといけないので宜しくお願いしますと申し上げた。この1150着の事を実は言いたかったのである。さりげない喜びの吐露であるかも知れない。