「巨星墜つ」という言葉があるが、私は今まさしくこのような感慨に浸っている。巨星落つとも書ける。偉大な人物がこの世を去ることを意味する表現であり、とにかく大きな業績を残した偉大な人物が死んだことを、哀惜の念を込めていう表現である。本日、学校法人清風学園の学園長平岡英信先生の「学園葬」が学校法人主催で行われた。まさに“巨星墜つ”である。主催者は葬儀委員長に和宗総本山四天王寺第114世管長「瀧藤尊淳猊下」で、故人とは永い年月のご友人であり、大阪の私立教育を引っ張って来た同志と言って良いかも知れない。喪主はご長男で清風中学校・高等学校の校長平岡宏一先生からのご案内であった。理事長の肩書がどこにも無かったが法的には現理事長の職にあるのは宏一先生であるが、父君への思いから敢えて理事長・校長の肩書を使わず校長のみとしたのだと瞬間に私は理解した。立派な行いだ。
平岡英信元理事長・現学園長先生は昨年末の12月16日、94歳で永眠され、既に親族で密葬の儀は済まされ、今日学校内の中央館「曼荼羅アリーナ」で学園葬を行うべく内外の故英信先生の知人やご関係の皆様に対し、立派なご案内状を出状されたものであろう。私は本当に良くご指導ご鞭撻を頂き、心からここに生前のご厚志を感謝申し上げご冥福をお祈りしたい。前職の府立高津高等学校の校長に就任し、近隣でもあり、最初にご挨拶に学校を訪問した時からだからもう20年のお付き合いになる。この時に「貴方みたいな民間企業でやられた人が府立の校長になっては、私共私立学校は有る面、恐怖ですよ」と笑われながら言われた事を今でも鮮明に思い出す。その後今の浪速学院に赴任した時にも具体的な近隣の私立の名前を出され、「戦々恐々」としているでしょうと先生らしいお言葉で激励して頂いた。
私は折に触れて先生の執務室をお訪ねしご意見を頂いた。英信先生は何時もご柔和なお顔きであり、ざっくばらんなお人柄,身体全体に透き通るような透明感があった。何時も恐らく高級であろうことが直ぐに分かる、香りの良い「紅茶」を出して頂いた。時には踏み込んで普段は聞けないような話まで教えて下さった。ダライ・ラマ猊下とも先生は親しく、清風学園にご来校の節は私に直接電話をかけてくださり、「紹介するから」と言われ、先生の執務室で記念の写真を撮って頂いたのも思い出である。又先生から「重罪を犯した死刑囚の教誨師の後援会」に入会して欲しいと言われ、今でも継続して会員になっている。先生は単に清風学園グループの今の教育活動の成果だけではなくて日本の体操競技界に果たし功績は後世に語り継がれるもので体操のオリンピック競技での金メダルは間違いなく平岡先生の燦然と輝くご功績の一つである。だから今日の学園葬も極めて多くの各界の人々が参列されていた。
先生と最後にお会したのはお亡くなりになる1週間前の12月10日で、市内の有力な体操クラブの創立50周年祝賀会の時であった。その時も先生はお元気で親しくお話しした。先生はこの時も自分のお足で壇上に登り見事なお祝いのご挨拶をされていただけに突然の訃報に驚いた。御年94歳まで現役で大きな学校のトップを務められたのは、この間の精神力とそれを支えた強靭な身体がなせる結果であるが、その中軸には「教育への強い思い」があったからだと思う。真の意味で「本物の教育者」であった。私を含め、全国の平岡ファンは先生のご逝去を受け止め、精進していかねばならないと思った。私などは平岡英信先生から見れば「まだまだ子ども」であり、先生のお歳までまだ20年弱もある。頑張らねばならない。無位無冠の一介の私立学校の理事長の私であったが本日の学園葬では焼香時に早い段階で私の名前が読み上げられた。「平岡英信先生からの激励」と私は受け止めた。合掌。