2026年7月23日木曜日

「伊勢往還」第3班が出発

 私は「言葉」が好きである。特に漢字が好きだ。英語も嫌いではないが、漢字から匂ってくる味わいはどうにも捨て難い。「往還」と言う漢字がある。道を行き来することで、往復や往来と同じ意味だが、何か「格好良い」感じがするではありませんか?「おうかん」と読み、おうげんとも読むらしい。有名な往還は「萩往還」や甲府から東海道に出る「鎌倉往還」などがある。中で有名なものは萩往還で、毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での「御成道(おなりみち)」として開かれたことが始まりで、日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び、全長はおよそ53kmの街道である。幕末に維新の志士たちが時代とともに駆け抜けた萩往還、はるか江戸につながるこの道を、武士や庶民、そして幕末の志士たちはどのような想いで歩いたかと思うと少し時代感傷的になる。 

このように思えば、「伊勢往還」と言う言葉が有っても良いのではと思いついた。既に「お伊勢参り」という有名な言葉はあるが、伊勢往還なら本校が主役?になると思った。73年間も学校と伊勢神宮を往復し「伊勢修養学舎」を継続してきた。これには大きな誇りを有しているだけに伊勢往還があっても良い。「第73回伊勢修養学舎」へ第3班が定刻に出発した。見送りの激励をしながら、まだこれで中日だ。29日まで続く。1000人を超える高校生が5班に分かれて延べ11日間にわたって伊勢を往復するのだから伊勢往還である。今朝は第3班が出発した。そして午後13時過ぎに第2班が戻って来た。 



出発前の激励で私は生徒の顔を見ながら、つくづくと一人一人の顔の違いを感じる。本当に異なるし、それぞれに味が有る。でもまだまだ「幼い感じ」を受ける。当たり前だが顔の違いは個性ではない。単なる頭、顔の輪郭、目鼻の配置の違いでしかない。ところがこの学舎を終わって学校に戻ってくると、昔から本校では「浪高生の顔になったな、顔つきが少し変わったな」と言われるようになるから不思議だ。そしてこの1年生が2年経過し、卒業式となると「顔つきが違ってくる」。本当に違ってくる。大人びて来る。人間の個性が少し表面に出て来ているのかも知れない。これが「成長」である。 


成長過程になる若者を相手に「教育と言う営為」に従事している我々が最もこの成長と言う変貌を知る立場にあるのかも知れない。およそ学校に勤務する教職員の最も喜びとするところであるし、そのように思えない人は学校から去れば良い。凡そ人間社会の葛藤や軋轢は「個性と個性のぶつかり合い」から来るものだと考えて良い。学校とて一般の社会と全く異なる訳ではない。前述した伊勢修養学舎も約1000人の生徒だから「実に様々な特徴を有する生徒群」だ。この一見個性と思えるような、成長過程にある精神が揺れ動いている、様々な生徒1000人を、ほぼ個性が出来上がった教員125名とのぶつかり合いが伊勢修養学舎だから、その仕事の難解さの様相は容易に想像出来る筈だ。学校とは大人を相手にしているところではないからその分大変な仕事なのであり、楽しみな部分である。