10月は全国の神様が出雲に参られるから「神無月」、ただい出雲地方だけは神様が来られるから「神在月」、美味い事、日本語は表現するものだ。10月も飛ぶように過ぎ去り、今日で終わり。明日からは11月で、「霜月」と言う。気象に関連した名前になり、霜が降るから霜月だと言う。分かり易い。12月は先生が走り回る「師走」、今年も後2か月となった。私も教職員も生徒も「一生懸命に生きて来た」と思う。私たちの勤務先は学校であり、相手は同僚でも無ければ保護者でもない。目の前にいる生徒が対象である。少年少女である。私は何時も頭の中に次の語句がある。「少年老い易く学なり難し」「一寸の光陰軽んずべからず」。自分自身の「人生訓」みたいなものでもある。
以上の語句(ことわざ)は、時間管理や自己啓発の重要性を示す言葉として現代でも時に引用されている。人間、全く等しく一日24時間の持ち時間は、限られた時間であり、これを意識して学びや努力を積むことの大切さを教えてくれている。人生80有余年は長く、時間の積み重ねの仕方で結果は個人で変わったものになる。「少年老い易く学なり難し」は、若いうちの努力の重要性と時間の尊さを説いている。これは元来中国で成立した語句とされてきたが今は日本だと言う学説もある。現代でも時間を大切にする生き方の指針としてこのことわざは広く用いられている。
若いうちに時間を大切にして学問に励むべきことを説いているのだが、確かに若いうちはまだ時間があると思いがちである。しかし年月はあっという間に過ぎ、年を取ると学問を修めるのが難しくなるという戒めを表している。つまり、若いうちから勉学に励まなければ、後で後悔することになるという教訓で、「少年」は男女を問わず若者全般を指し、学問だけでなく、人生のさまざまな努力にも通じる意味として用いられている。歳とっての勉強では遅いという戒めも分からないでもない。人間「生涯学習」であるが若い時代の勉強は特に大切だと思う。起死回生の一発は期待しない方が良い。小さい頃から「コツコツ」とだ。
私はこのことわざから直ぐに神道の教えるところの「今を生きる!」の言葉に気持ちが飛ぶ。神道における「中今」の思想である。中今とは「今この瞬間を大切に生きる」という教えであるが、これは単なる時間の概念ではなく、過去から未来へと流れる永遠の時間の中で、「今」を中心に据え、この瞬間を精いっぱい生きることの大切さを教えるものだ。これが神道での時間観だと、江戸時代の国学者である本居宣長は、その著書「古事記伝」の中で、明確に示している。過去を悔いても仕方がない。未来を心配しても仕方がない。さすれば今を一生懸命に生きよという事だ。私は長い人生、小さい頃から兎に角何時でも、何でも一生懸命に生きて来たと思う。親からも親戚からも「智彦は何でも一生懸命に・・」と良く言われた。
今日は朝8時30分から高校2年生の理系トップ層60名が多聞尚学館へ学習合宿に出かけた。英・数・化学の強化勉強である。私は出発前の一時、“少年老い易く”を持ち出し、激励した。又今日の土曜日は「Saturday Something Special (3S)」の日で1S、2Sと講座を開設しているが中に未だ本校の生徒でない「小学校6年生と5年生が中学生、高校生に交じって40人も含まれている。自ら勉強の意欲を発揮し取り組んでいるのである。恐らく浪速中学への興味関心が高まり、自ら体験したいと参加しているのだと思うが、理由は如何せん、自ら勉強への意欲を持つ事は賞賛に値する素晴らしい事だと思う。