2025年7月28日月曜日

個性と個性のぶつかり合い?

 「第72回伊勢修養学舎」の最終班である第5班が定刻に出発した。見送りながら、これで最後かと思うと少し「ホッ」とした。でも現地の校長以下先生方は「まだあるのか?」と思いながら現地で待っているのも仕方がない。今までは4班までで5班などあった試しはないからだ。教員も一人当たり2回参加する先生方も出てきている。特に11日間連続で通す校長、副校長、学年主任、神道科の教諭には長い期間、ご自宅を留守にして申し訳ないが「これはこの学校の最重要の行事」だと思って対応してくれているのが私には嬉しいし感謝の思いが心に満つる。30日には最終班が学校に戻ってくるのでその無事な帰りが待ち遠しい。翌31日が1学期の終業式となる。 


バスを見送った後、目の前のグランドの芝生工事の状況を観察した。10年前に張った人工芝とは進歩した品物で新製品は静電気で取れた芝が靴先やズボンの裾にまとわり付かないと担当者も業者さんも言っていた。彼らの仕事は「やり始めたらすごい速さ」である。完成が楽しみだ。その後ついでに天空レストランの焼き立てパン販売コーナーの改造イメージを確認した。スタート時点では男性の新店長1名に女性の幹部職員4名でスタートする方向だ。大量に焼かねばならない時はPTAからの応援なども考えている。ほぼ全員が経験者だからまず安心だが、狭い空間だけに「チームワーク良く」やって貰いたいと思う。30日に2回目の全体会議を行う予定である。 


凡そ人間社会の葛藤や軋轢は「個性と個性のぶつかり合い」から来るものだと考えて良い。学校とて一般の社会と全く異なる訳ではない。前述した伊勢修養学舎も約1100人の生徒だから「実に様々な特徴を有する生徒群」だ。この一見個性と思えるような、成長過程にある精神が揺れ動いている、様々な生徒1100人を、ほぼ個性が出来上がった教員125名とのぶつかり合いが伊勢修養学舎だから、その仕事の難解さの様相は容易に想像出来る筈だ。学校とは大人を相手にしているところではないからその分大変な仕事なのである。 


ここで言うところの個性とは、わざと奇抜なことをする人、個性を出すつもりで、わざわざ人と違った行動をしようとする人、個性的に思われたいからわざと突っ張っている人、流行のファッションを追いかける人、目立ったり変わっていたりすれば、何でも個性になると思って行動する人、反射的に直ぐに対抗的になる人、反論ばかりする人などではない。確かに見た目や行動、思考は特徴的であるが、これらを個性とするのは私には大きな違和感がある。個性は動的であり、揺れ動いている。芯は変わらないが、表面は右顧左眄し、グラグラ動きながらじわじわと変わって行くから難しい。 

個性と言う表現を安易に使うべきではない。習慣や癖などを個性として言い訳には使わない方が良い。自らこれが私の個性ですなどと言う言葉を耳にすると私は振り返ってその人を見る。個性は努力して努力して耐えに耐え、結果として身についた自然に出てくる人間性である。人間として薫り高い芳香を誰に対しても放つ人を個性ある人と言う。これが私の定義だ。

2025年7月25日金曜日

マイセン磁器の花入れ

 昨日は伊勢へ第3班が出発した。ようやく折り返し点に差し掛かった。学校は極めて静かで落ち着いた雰囲気で私はこの感じが好きだ。午前中は高校1年生を除いてほとんどの生徒は校内に居るのに何故か静粛である。高校の2年と3年は特別講習が行われており、中学は全学年で「夏期講習」と称して特別な講習を実施している。やり方に工夫を凝らし1学期の成績で習熟度別にクラス編成を行って一コマ60分授業で午前中に3コマだから結構きついと思う。教科は基本5科目である。私はこの時を狙って中学の全教室を回って先生や生徒の様子を観察し激励した。 



生徒はマジ、真剣に取り組んでいたと思う。通常は45分授業だが60分授業となると「集中力」の問題が出てくる。しかし今日参観した限りはそのような気配は薄く、生徒は「やらねばならない」との自覚は有していたみたいでふざけているような生徒は皆無であった。一人の女生徒が私に小声で「理事長先生、ブログ読んでいます」と言ってきたのには少なからず驚いた。わざわざ中学校から私立に進学して生徒は6年間かけて「浪速の体質を変えていく為」の中軸の生徒として徹底して教育を展開していく必要がある。浪速中学の生徒はそういう意味でも極めて重要であり、「高校の3年間と中学の6年間の年月の差の結果」を見せ付けなければ私立中学を持つ意味はない。 



昨日は南海辰村建設さんの幹部が学校に見えられた。人事異動のご挨拶をお受けした。そしってU社長様からのご懇篤なお手紙と新校舎竣功記念品として「マイセンの花入れ」をご持参下さった。ヨーロッパ初の白磁製造に成功したことで知られるドイツのマイセン磁器は、「国立マイセン磁器製作所」から起こり、その起源は1710年、ザクセン選帝侯アウグスト強王の命により設立された「王立ザクセン磁器工場」に遡る。当時のヨーロッパでは、中国磁器や日本の古伊万里などが「ホワイトゴールド(白い金)」と呼ばれ、王侯貴族の間で高値で取引されていたが、これに対抗して遂に1709年、磁器の焼成に成功し、その翌年にマイセンに窯が築かれた。ドイツ人のこのひたむきさが凄い。 



以後、マイセン窯は門外不出の技術とされ、その技術を狙って各国が人材を引き抜くなど、磁器をめぐる争奪戦も繰り広げられたという。19世紀に入ると世界中の富裕層からの注文が相次ぎ、マイセンの名は国際的なブランドへと成長し、現在は、ドイツ・トリービッシュタールに拠点を移しつつも、伝統と革新を融合した作品を世に送り出し続けており、その一品が本日頂いた物だ。深みのある青は「マイセンブルー」と称され、染付技術の世界最高峰である。 

このような歴史ある磁器を日本民族の精神的な根幹である、神社神道を建学の精神に持つ学校の竣功記念に選んで下さった南海辰村建設さんのお心を私は読み解いた。志を立て、ひるむことなく研究と手技の開発(学習と努力)によって世界に通用するものを創り出すことは、人材教育そのものであり、浪速中学校への大きな激励と受けとめた。100年前の生徒の伊勢学舎の記念写真の前の書棚の卓上中央にこれを設置し今後の更なる努力を誓った。

2025年7月23日水曜日

アカデミックな雰囲気で「楽しく、知的な授業を!」

 昨日の話になるが伊勢修養学舎の第1班が正午過ぎに無事、学校に帰着した。入れ替わって朝8時半に2班がバス6台で学校を出発した。西名阪道の何処かで帰りと行きのバスはすれ違うが生徒は気づかないと思う。神宮会館ではこの短い時間で待機の時があり、連続帯同の校長以下教員は暫しの休息時間となる?正午過ぎには又2班が会館に到着し、昼食後、開校式が始まる。このように既に「形は完成」しているから安心して見ておられる。これが第5班まで続き最終班が学校に帰着するのは30日である。浪速高校ではこの修養学舎が終わって初めて1学期が終わり、翌日の31日が終業式となる。 


19日の高校第1回オープンキャンパスの分析結果の報告を詳細に入試広報部から受けたが参加者数は言うに及ばず新記録となり、就中授業体験のアンケート結果は目を見張るものがあった。私はレポートに目を通し、説明を聞きながら「我が意を得たり」と私の顔は大いに破顔一笑した。全ての教科で感嘆のレポート内容であったが中でも数学のO先生の授業はその中身がすごかったと思う。一例を上げよう。これを出された保護者はパソコンを持ち込み、それを書いて校内メールで入試広報部に出したと言う。近未来ではこのように完全な「ペーパーレス説明会」となっていくのだと感じた。 


「浪速高校のオープンキャンパスで受けた数学の授業は、とても分かりやすくて面白かったです。先生の説明が丁寧で、難しい内容でも理解しやすく感じました。普段の授業よりも応用的な内容に触れることができ、高校での学びに対する興味がさらに深まりました。質問しやすい雰囲気もあり、学ぶ楽しさを実感できました。浪速高校で数学をもっと学びたいと思いました。また、実際の高校の授業を体験することで、学習環境や授業の進め方を具体的にイメージすることができ、自分に合っていると感じました。周りの参加者とも意見を共有できて、良い刺激になりました。数学に対するモチベーションが高まり、入学後も積極的に取り組みたいという気持ちが強くなりました。浪速高校の学びの質の高さを実感し、この学校で充実した高校生活を送りたいと心から思いました。」 

入試広報部の纏めには授業体験・校舎見学の様子として、ICT環境をフルに活用したオリジナルの授業を実施し、参加者も意欲的に体験授業を受けていた。今年度は「楽しい」+「知性」の授業を実施していただいた。保護者の方もオンラインでの配信画像の鮮明さに驚かれ満足していただいた。お出迎えからお見送りまで生徒スタッフが溌剌とした姿勢で取り組んでくれた。今回の生徒スタッフは募集したその日に定員が埋まるほどに意欲的な生徒が多く、特に昨年から引き続いて参加してくれた生徒達は後輩へのアドバイスだけでなく、受験生・保護者様にもしっかりと目を配り、素晴らしい対応をしてくれた。 

特に私が嬉しかったのは次の部分である。校舎見学では、1足制であるにも関わらず、廊下がきれいなこと、各教室の綺麗さに驚いておられた。この校舎を建設する時に「一足制か2足制か」で随分と悩んだが今の生徒数を見た場合、一足制で良かったとつくづくと思った。とにかく高校の授業体験では中学の受験生に「高校の授業は何たるものか」を知らしめておかねばならない。キーワードは「楽しくて知的な授業」であり本校のICTをフルにしたアカデミックな雰囲気が伝わっているのが嬉しいのだ。次回、「9月13日に実施する第2回オープンキャンパス」でも担当する教諭はスーパースターとなり十分な準備を行い、今回と同様なアカデミックな授業をして欲しいと思う。まさに「教師冥利に尽きる」と思う。

2025年7月21日月曜日

「伊勢へ七度、熊野へ三度」

 昨年、噺家の大御所である桂福團治師匠から「伊勢へ七度、熊野へ三度」と言う言葉を教えて頂いた。伊勢神宮へは7回、熊野三社へは3回、お詣りすると言う事だが、これはたびたび参ること、信心の深いこと、また、信心はどんなに深くしても限りはないことの例えだと後で物の本で学んだ。有名な落語の「伊勢参宮神乃賑(いせさんぐうかみのにぎわい)」、通称「東の旅」と言う落語は伊勢参りの道中を描いた上方落語の名作であり、この中に先の言葉は出て来ると福團治師匠はおっしゃっていた。大阪の落語家はこの話から修行に入るともお聞きした。確かに蒸し暑い日で時折小雨が短く降る伊勢であったが私はお伊勢参りを行った。この20年間、数えきれないくらい位の参拝である。優に100回は超えているだろう。 

昨日は令和7年度の「第72回伊勢修養学舎」であり、私は開校式でのスピーチの為に第1班に帯同した。生徒総数は1050人を超え、指導に当たる教員は通算で125名と言う大人数が5班に分かれて神宮会館を拠点に「神道の何たるかを学ぶ最重要な学校行事」である。事務室のKさんの運転する学校車で7時20分に出て一路「内宮宇治橋」に向かった。10時30分には到着したが大勢の人で確かに賑わっていた。広い境内をただ黙々と歩き、「内宮」に参拝。湿度が高く、カメラのレンズも曇るとKさんは嘆いていた。 



一人参拝の後、翻って「神宮会館」に到着し、本校理事でもある館長さんと暫しの懇談を行い、昼食のご接待を賜った。その後生徒が講堂に打ち揃ったとの連絡を受け「開講式」に臨んだ。そこで理事長・学院長として「開講挨拶」を行った。これがメインの責任である。この模様はビデオで録画され後に続く2、3、4、5班に同じものが開講式で映しだされる手筈となっている。その後「校長講話」が続き、その後は生徒全員が4台のバスに分乗し「猿田彦神社」に向かい校長と生徒代表による昇殿による正式参拝を行った。私はこの「道開きの神さま」について短い講話を行い、「志しを持ち努力と忍耐、感謝の気持ちを持つことで間違いなく君たちの道は必ず切り拓ける」と激励した。 




次はバスで10分程度の処にある「外宮」に参拝したのだが、その頃には曇りも幾分陰り青空がのぞいていた。その分本当に暑い日であったが生徒は一糸乱れず素晴らしい歩きでご本殿に向かい、「御垣内参拝」を許された校長と生徒代表に合わせて「柏手」を打った。これで私の役目は終わり、後は校長、副校長、学年主任、神道科教諭に任せて学校車に乗って学校に戻った。時は夕刻の17時30分であった。昨年と全く同じ時間で、本当に良い時を過ごしたと「幸せな疲労感」を感じ、関係する教職員へのお土産である「伊勢うどん」を車から降ろしたのである。


 

2025年7月19日土曜日

私立は全教職員が広報を担い、経営を担っている感覚で!

昨日で表向きは1学期の生徒への公的業務は終了を告げたことになるが、教職員は正式な勤務が続く。「学校の先生って、良いですね。夏休みが長くて!」などは全く学校の事をご存じない人の言葉だ。終業式後も校内の実態は大きく動いている。校庭のグランドは敷設して初めて全面更新にかかった。当時の人工芝の限界で芝が静電気を帯び靴やズボンの裾に纏まりついて困ったが今回の新製品はそのような事はないとの事だった。中学校棟建設時に仮の駐輪場を差し出してくれた保健体育科への私のプレゼントだ。又、天空レストランの本格的な改装が始まった。焼き立てパンショップ、ブルの再生である。

 

今日は高校の「オープンキャンパス(授業体験)」の日であった。中学はオープンスクールと呼び高校はキャンパスと区分して使っている。この日が来ると私は昨年を思い出す。それまでは2回に分けて実施していた重要な企画を何故か、それまでの7月と10月の2回を昨年は8月の1回のみに合理化していた。参加者は420人の数であった。その数を聴いて憤慨した私は急遽10月に2回目を入れさせて、結果として648人の受験生に来てもらった。合計1068人である。これは大きなマグマとして残り、今年に繋がっていると思う。昨年の戦術に懲りた入試広報部は元に戻して今年は今日の7月19日と9月13日に2回目を入れて新たな作戦を立てた。受験生に「百聞は一見に如かず」で機会ロスは駄目だ。

 


それが今日の参加者は何と、718人であり過去新記録の数値であった。「浪速は未だ燃え盛っている」のである。今日は3回に分けての体験授業となった。終日かけての対応となったが嬉しい悲鳴であり全力で対応し、頑張ってくれた教員には心からの慰労と感謝である。私立高校では「門前市を為す」現象を誇って良い。私はほぼ全ての教室を回ったが、ICTを駆使し、緊張感ある素晴らしい模擬授業だったと思う。続きの教室には保護者に入って貰い、私は顔を覗かせて今日の参加のお礼を申し述べた。 






8月16.17日には「大阪私立学校展」が天満橋のOMMビルにて開催される。この私学展を皮切りに各私学に「よーい、ドン」の号砲が鳴り響き、どの私立も速度を上げて走り出す。この感覚はこの場所に身を置いている人間には良く分かる。これから12月末までのあらゆる活動で来年度入学者が決まるから「余程の覚悟と努力をして事に臨む必要」がある。常にここ数年とのデータ対比、昨年度との対比など「目に見える数値を凝視」しながら適切な対応をして結果を待つ必要があり、私立学校にとって「チャレンジングではあるが一方緊張する季節の到来」と言える。この緊張する興奮が耐えられないなら私立への勤務はしんどいかも知れない。私立は全員の一人一人が広報を担い、経営者である。特に本校はこれを徹底してきた。だから強いのである。


2025年7月18日金曜日

浪速中学校1学期終業式

 浪速中学校の1学期の終業式が今日であった。まず終業式に先立つ「神前奉告」を行い、その後、回廊に全生徒を座らせて「学院長講話」を行った。終業式は校長の手で場所を体育館に移して行われた。私の講話については頻度も少ないから生徒は静かに良く聞いてくれた。高校の終業式は月末の31日であり中高、それぞれに校長先生が指揮しているから、このように学校行事やタイミングの違いは当然有り得る。私は最後の中高の校長を7年間もやったが、それは大変であった。中学、高校の生徒数が増えるに従って判断し処理する事案の多さに走り回っていた。これに対応する為に次の校長から単独に中学校長をトップにした別組織体とし、それまで法人役員は高校の校長のみが理事であったが私は状況を見ながら中学の校長先生も理事職となるように寄附行為を変更した。言われた訳ではないが、中学の先生方の頑張りを思えば自分のところの校長が役員でないのは?という気持ちもがあるかも知れないからだ。



 学校法人浪速学院が保有する学校は「浪速高等学校・浪速中学校」が正式名称である。高等学校が先に来る。その昔の届け出の名称は浪速中学校・高等学校であった。今でも中学と高校を有している法人はこのように中学が先に来るのが多いと思う。私は旧制浪速中学が今の新制浪速高校になったのだし、生徒数でも断然高校が多いのだから先に高校を持ってきた。浪速中学校は併設校の位置付けで本校は完全な形での中高一貫校ではない。これが完全な中高一貫だったら浪速中学校・高等学校となるだろう。 

しかし学校は生徒数の数で競うものではない。あくまで目の前に居る生徒への視線であるから集積体としてのボリュームは余り関係無いと考えるべきだと思う。教育的課題は当然年齢的に若い中学生の方が高校より断然多いのは当然であり、従って中学は「義務教育」となっている。学校が逃げ出すわけには行かないのだ。比重の比較で、個人の独断と偏見で言えば中学は高校の5倍程度重たいのではないかと思う。高校は「伝家の宝刀」とも言うべき「原級留置、他の措置」がシステムとしてあるが義務教育段階では適用は困難である。保護者の年齢層も若いだけに学校への舌鋒もそれなりにあるだろう。本校では中学は450人、高校が2900人余りだから中学の負担は高校の約5倍の2250人くらい?とほぼ拮抗していると考える事も出来る。 

今日は朝、「拡大管理職会議」を行い、1学期の総括と慰労の言葉を述べた。特に来年度入試問題に時間を費やした。その中で今後の学校の立ち位置について私は論理立てて話した。トップが同じような職位の幹部に同じ肉声で話すことが重要である。そして今ある現況への経緯も大切であり、「何でこうなっているのか?」を知ることは重要だ。どの話にも「起承転結」がある。

9時から中学の終業式、10時からはアメリカンフットボールの強化コーチのK先生に部活動功労賞の授与式を行った。徐々にアメフトは強くなってきており、先には関西大会に初めて出場できた。偏にK先生のご指導の賜物でそれを若い本校顧問に伝授して欲しいと思う。15時30分から1学期最後の職員会議となった。勿論私から1学期の頑張りに対して全教職員に感謝の気持ちを伝えるのが目的であった。


2025年7月17日木曜日

(学)浪速学院校友会よ、大きく羽ばたけ!

 本校には所謂「学校の同窓会」は無い。無くなったと言うべきか。今年3月の「浪速学院校友会」発足で実質的に消滅し、校友会に衣替えした。文字通りスクールフレンドだ。同窓会の言葉は「ノスタルジー」を感じさせる温かい響きがあるが、今後の先行きを考えたら「旧態依然の形」を変えて「新しい酒は新しい皮袋に入れる」と言った感じである。「浪速学院に関係した人々」をより広く、参集頂き、求心力を高めて先行き混沌とした「少子高齢化の社会」で、母校を応援し、会員同士が連帯を深めていく狙いから「法人化」した。保護者も会員資格があるし、お取引の会社さんも有力な同胞だと考え、門戸を広くした。法人となれば法務局に届け、会費制で事業も理事会組織で法的に適切に進めなければならない。 


私の立場は理事長として「名誉会長」を仰せつかり、会長は卒業生で現在は東大阪の「枚岡神社の宮司様」である中東弘氏が初代の校友会長にご就任された。先には最後の同総会会長であられた東京の湯島天満宮の押見名誉宮司が逝かれ、氏よりも年齢の高い中東宮司の会長就任は極めて力強い事である。本日、この校友会の副会長さんが見えられ今後の活動方針について報告を受けた。現在活性化している事業は「浪速学院二十歳の集い~浪速に戻る!」と称した成人式のお祝いを学校で行っており、これは必ずや将来大きな力になる筈だ。加齢齢者ばかりではなく、全ての世代に亘って「絆」を強めていかねばならない。特に若い世代に期待致したい。


昨日校友会の理事さんたちが今後の行動案について説明してくれた。大変に意を強くする内容で学校としては全面的に支援して参る。このことが学校の為になると信じて疑わない。ただ「言うは易く、行うは難し」となってはならない。素晴らしい企画書であるが、求められるのは着実な行動と前進である。資料の中に事業での収益を学校に寄付するとあったが私は「まず先に貯めてからおいで!」と揶揄した。浪速マスコット人形の製作販売とか、今度リニューアルする焼き立てパンの校外販売を担うとか色々と案はあるし、学校指定の用具や備品の一部を渡しても良いとさえ思っている。私は大いに発破をかけて激励したのである。