2025年7月25日金曜日

マイセン磁器の花入れ

 昨日は伊勢へ第3班が出発した。ようやく折り返し点に差し掛かった。学校は極めて静かで落ち着いた雰囲気で私はこの感じが好きだ。午前中は高校1年生を除いてほとんどの生徒は校内に居るのに何故か静粛である。高校の2年と3年は特別講習が行われており、中学は全学年で「夏期講習」と称して特別な講習を実施している。やり方に工夫を凝らし1学期の成績で習熟度別にクラス編成を行って一コマ60分授業で午前中に3コマだから結構きついと思う。教科は基本5科目である。私はこの時を狙って中学の全教室を回って先生や生徒の様子を観察し激励した。 



生徒はマジ、真剣に取り組んでいたと思う。通常は45分授業だが60分授業となると「集中力」の問題が出てくる。しかし今日参観した限りはそのような気配は薄く、生徒は「やらねばならない」との自覚は有していたみたいでふざけているような生徒は皆無であった。一人の女生徒が私に小声で「理事長先生、ブログ読んでいます」と言ってきたのには少なからず驚いた。わざわざ中学校から私立に進学して生徒は6年間かけて「浪速の体質を変えていく為」の中軸の生徒として徹底して教育を展開していく必要がある。浪速中学の生徒はそういう意味でも極めて重要であり、「高校の3年間と中学の6年間の年月の差の結果」を見せ付けなければ私立中学を持つ意味はない。 



昨日は南海辰村建設さんの幹部が学校に見えられた。人事異動のご挨拶をお受けした。そしってU社長様からのご懇篤なお手紙と新校舎竣功記念品として「マイセンの花入れ」をご持参下さった。ヨーロッパ初の白磁製造に成功したことで知られるドイツのマイセン磁器は、「国立マイセン磁器製作所」から起こり、その起源は1710年、ザクセン選帝侯アウグスト強王の命により設立された「王立ザクセン磁器工場」に遡る。当時のヨーロッパでは、中国磁器や日本の古伊万里などが「ホワイトゴールド(白い金)」と呼ばれ、王侯貴族の間で高値で取引されていたが、これに対抗して遂に1709年、磁器の焼成に成功し、その翌年にマイセンに窯が築かれた。ドイツ人のこのひたむきさが凄い。 



以後、マイセン窯は門外不出の技術とされ、その技術を狙って各国が人材を引き抜くなど、磁器をめぐる争奪戦も繰り広げられたという。19世紀に入ると世界中の富裕層からの注文が相次ぎ、マイセンの名は国際的なブランドへと成長し、現在は、ドイツ・トリービッシュタールに拠点を移しつつも、伝統と革新を融合した作品を世に送り出し続けており、その一品が本日頂いた物だ。深みのある青は「マイセンブルー」と称され、染付技術の世界最高峰である。 

このような歴史ある磁器を日本民族の精神的な根幹である、神社神道を建学の精神に持つ学校の竣功記念に選んで下さった南海辰村建設さんのお心を私は読み解いた。志を立て、ひるむことなく研究と手技の開発(学習と努力)によって世界に通用するものを創り出すことは、人材教育そのものであり、浪速中学校への大きな激励と受けとめた。100年前の生徒の伊勢学舎の記念写真の前の書棚の卓上中央にこれを設置し今後の更なる努力を誓った。