2020年7月7日火曜日

ジャック・ウェルチの言葉「今日は誰を首にするか?」

6月15日に再開した学校は順調に来てこの9日からは高校の期末試験、中学は10日から始まる。ようやく定期考査にたどり着けた。素直に喜びたい。大阪府も今回の府内全域の一斉休校には「いささかやり過ぎたかも?」の意見もあって今後は個別判断となったみたいだ。まあ一つの手順だから仕方がない。このような臨時休校期間は「私立における生徒の居る価値」を我々に再確認させた。又同時に教職員のこの間の対応について多くの発見があった。発見と言うより、「やはりそうだったか?」との思いの方が強い。臨時休校の期間中に「在宅勤務」を導入したり様々な教職員の「自己開発」というか「自己研修」を促したのだが「頑張った教員とそうでもない教員」に色分けが明確になった。これは私にとって「確信」という大きな収穫であった。

あれほどこの期間にICT教育推進のために「グーグル認定教育者レベル1」の資格を取るように言っていたのだが期限の6月末までに取得した教員は:
   専任教員 62/76人  82%
   常勤講師 20/24人  83%
   新任講師 21/23人  91%
特に私は本校の専任教諭の取得率が他に比べ低いのが気に食わない。「これは一体どういうことか?」常勤や新任の先生に対して「しめしがつかない」ではないか。私は内8人の専任を部屋に呼び高校校長立ち合いの元、厳しく指導した。そして頑張った教員には専任で一人2万円、常勤と新任には1万円を過日の夏季の賞与に加算して褒賞した。合計金額は165万円となる。それに受験料総額は221400円でこれも学校が負担した。もっと言わせて貰おう。教員一人に最新鋭のノートパソコン一台10万円を貸与し更に加えてクロムブックタブレット一台5万円も支給している。膨大な金額である。

それにも関わらず上記のような様では本校が誇る教員とはなり得ないのではないか。確かに難しかったとか忙しかったとか「言い訳はする」がこの間の時間の余裕を考えればそれでは世の中は通らない。「努力というやる気の問題」であり、「親の心、子知らず」である。ところで私が尊敬するジャック・ウェルチ氏が本年3月1日に死去された。この米GE元経営トップのウェルチ氏は間違いなく「20世紀で最も卓越した経営者」であった。イリノイ大学で博士号を取得後、1960年にGE入社。早くから頭角を現し、81年に45歳の若さで会長兼CEOに就任。「世界でナンバーワン、ナンバー2でない事業は撤退する」との方針の下、大胆な「選択と集中」を進めたことで知られる。重電メーカーとして知られたGEの収益を多角化して「世界最強の企業」と呼ばれるまでに成長させた手腕は、日本の経営者のお手本にもなり、多くの書物が出版された。
私はこのような飛びぬけた人物が大好きで伝記本も良く読んだが、特に面白かったのは、彼は「毎日会社にきて、今日は誰を首にするか!」考えるのが日課だったと回顧している場面だ。人は彼を称して「ニュートロン・ジャック(中性子のジャック)」という。建物を壊さず中にいる人間を標的にするという意味だが、要は企業は人材だという事を強調しているのである。組織は人によって栄え、人によって滅びるのである。学校とて全く同じことだ。能力の無い、またそれを上げようとの努力もしない、面従腹背で日和見の教員が一人でも居たらその学校はそこから段々と腐っていく。基本的に学校はフラットな組織であり、年次、専門教科に関わらず職位に上下差はないから、だれか一人が「さぼれば」、誰も踏み込んで仕事はしなくなる。「ああ、あれでも良いんだ」と若い教員が感じたらその時点で活力の衰退が始まっている。学校における「教員の質の影響」は企業組織どころではない大きさがある。そこが学校社会の最大かつ深刻な課題なのである。
私はジャック・ウェルチとまでは行かないが、この学校を守る為には人材を育成する努力を常に意識し、不良人材で回復の見込みがないと判断したら、進路を変えて頂く。生徒にも進路変更を促すのだから当然、教員にもあるべき話だ。私は来年3月末に進路を変えて頂く教員を誰にするか、毎日考えているのである。毎朝学校にきて広い静かな執務室で誰を首にするか?を真剣に考えている。ICTの出来ない教員、上司の期待に応えられない教員、「何か癖の多い教員」「表裏の多い教員」等々は本校には要らない。専任になれたからと言って「定年まで本校にパラサイト」されても困る。若いやる気のある常勤や新任に席を譲って欲しい。
千早赤阪村にある多聞果樹園・農園で今年最初の「すいか」が採れた。私はこれを事務室に持って行き、プレゼントした。収穫が少し早かったかも知れない。事務職員は大変良く頑張ってくれている。私は教員に伝えたいと思う。教員に比べ、事務職員の給料は約3%程度低いのである。これは公立、私立通じて長い間の制度の名残であり分かり易く言えば「教員へのリスペクト代」だと私は解釈している。だからこのような無様な教員の在り様では私は事務職員に申し訳が立たないのである。駄目な教員の分を削減して事務職員に回すべきか今悩んでいるところだ。