2020年7月20日月曜日

教師の学力?

朝、一番に某教科のX教科長に電話して、「今度入った新任のY常勤講師の先生だけど、先生の高校の後輩ですよね、どう見てる?」と聞いたら返事は「そうですか、知りませんでした。又中学所属なので良く分かりません」という答えだった。8時45分から始まった両校長を入れた朝会で私は「新任常勤講師の育成方法」を考えるように両校長へ指示を出した。少なくとも「国語・英語・数学・理科・社会の基本5科目」の若い先生の育成は極めて大切な事である。少なくとも教科長が全く関心もないような状況では育成にはならないと反省した。今までそのようなシステムが無かったからである。この事を午後からの校務運営委員会でも幹部教員に熱く伝えた。

本校の「専任への道」は基本的に「勤続3年間以内で総合的に見定め」、私が最終判断して専任教諭として本採用する。ここ数年教員の基本学力を確かめるために他の私立学校や公立学校がやっているように学力試験を3年目の常勤講師に付与するようにしたのだが、そこで恐ろしいことが分かった。何と大学入学センター試験の過去問が自分の専門科目だというのに解けないのだ。勿論圧倒的には問題はない。100点の先生もいるのだが、中には全国50万人以上の高校3年生の平均点が60点以上だというのにこれより相当低い点数しか取れない常勤講師が数年前に居ることが判明した。勿論、基本学力が教師としての資質判定の全てではないことは分かっている。例えば国語とすると「一般教養国語」と「受験国語」が幾分感じが違うのも十分分かっている。

しかしだ。それでも本校のようにほとんどの生徒が大学に進む進学校に勤め、多くの生徒が受験するセンター試験の得点が高校生以下というのは信じられない事であった。私は大体判断できるが、どのような高校を卒業したかで学力レベルは分かる。大学名よりも高校名の方が重要な気がしている。勿論偏差値の高い大学を卒業した講師は基本学力はあるが、私立大学でそれも一貫校や推薦入試などで入学し、大学を卒業した人は大学入学センター試験なども経験していない。とにかく最低限の基本学力のない先生が教師として教壇に立つことはやはり私には受け入れ難い。教師とは生徒の何倍もの力が無いと教えられないだろう。そう言う意味で折角本校に勤務してくれた新任や経年の常勤講師の先生方の指導システムについて至急検討することにしたのである。

次に掲げる小論文の新任常勤講師の先生は静岡県の県立高校を卒業し京都の有名な私立大学から大学院まで修了している。ご縁があって4月から本校に勤務して頂いており、中々活動的で評判は良い。私に提出してくれた小論文も「中々しっかりと書いている」と評価するが、失礼ながら果たして今年度から始まる大学入学共通テストでの得点はどれくらいだろうかとついつい思ってしまう。この視点を持つことは私の仕事であり責任だからである。生徒平均よりも低い学力の講師をお迎えするわけにはいかない。分かって頂きたいと思う。生徒保護者に申し訳ないからだ。ポテンシャルがあるなら今から育成をしなければならない。勿論本人の自覚と努力が必要なことは言うまでもない。そのようにして教員を育てる時代に本校も成長したという事だ。
 中学 社会科 男性新任常勤講師  私立大学大学院 「浪速中学校・高等学校教育側面観」

202041日、新型コロナウイルス感染症が世界的に猛威を振るう未曽有の大混乱の中で、私の浪速中学校・高等学校での勤務が始まった。ICT環境を完備した本校の先進的教育に魅了され、ICT教育を実践したいという強い思いを抱いていた私にとって、休校という歴史的緊急事態の中での新生活のスタートは、希望と不安とが入り混じったものであった。そんな私を鼓舞してくれたのが、木村智彦理事長・学院長先生のお言葉である。本稿では、木村理事長が精力的に発信している「理事長アラウンド」から、私が刺激を受けた投稿を3つとりあげ、肺腑を衝いたその理由について論説する。また、次世代の教育を目指す本校で、今後実践が望まれる教育活動についても若干の私見を述べたい。

 まずとりあげたいのは、68日発表の「多聞果樹園・農園」での「ジャガイモの収穫」の記事だ。この「多聞果樹園・農園」は、農業体験を通した生徒の豊かな人間性の育成を目的に昨年新設されたと聞く。
 近年、食品ロスと日本の第一次産業の衰退が社会問題として取りざたされる中で、「食」についての学びは非常に有意義な教育活動であることは言を俟たない。生徒が植物の栽培と収穫に触れ、それを食べるという体験によって、人間の営みと「食」に対する理解も深まり、また同じものを栽培し食べるという行為により、木村理事長がご指摘する「絆」、すなわち協同性の育成にもつながると考える。
 さらに、中学の社会・理科の授業と協同した「多聞果樹園・農園」での教育活動も可能であり、千早赤阪村の農家との交流など、「浪速」でしかできないアクティブラーニングも実践できるだろう。

 次に、515日発表の「グッド・スクール、スタイリッシュ・スクール、ニュー・スクール」について論及する。次世代の教育を見据え、本校ではICT教育の充実を図っている。この投稿の前日、木村理事長からICT教育の推進に向けて、「Google認定教育者レベル1」の取得に関し叱咤激励のお言葉を頂戴した。今後、ICT教育が一般的になることは疑いなく、木村理事長が仰るように、教師自身がICTに精通していなければならない。そもそも教育とは、「教育学」という「学問」として成立しており、その「学問」は日々の研究によって「進歩」することを前提としている。したがって、教育も「教育学」の研究成果に基づいた新しい内容へと「進歩」するものであり、板書から電子黒板やChromebookへと教育方法が一新されるのは当然なのである。かかる教育の「学問」としての性格を踏まえるならば、教員はより効果的な教育方法に貪欲でなければならない。そして、その効果的な方法こそがICT教育なのである。
 本校は全国屈指のICT環境を備えている。Chromebookを活用した主体的・協同的な生徒間プレゼンテーションや、地域参加型の授業を実践できる条件を有しているのだ。かかる充実したICT環境をいかし、既存の教育観念にとらわれず、ICTを駆使した「新しい学び」を体現していく必要があろう。

 最後に、私の心を最も突き動かした投稿が522日の「先生の昨年度の評価はこうでした」である。生徒に努力の必要性を教え説く教員は、自身の「自己実現」に向けた日々の努力が不可欠である。私は、学校の教員とは「授業のプロフェッショナル」でなければならないと常に考えており、そのために授業作成・教材研究には鋭意研鑽を日々重ねている。ICTを駆使して画像・映像・音楽を活用し、生徒の学びを深めたいという一心で授業に向き合っている。木村理事長の「学校の教員はあらゆる手を駆使して生徒に教える「プロフェッショナル」でなければならない」というご指摘は、私の教育の信条とまさに合致するものであり、私に活力を与えてくれた。こうした「授業のプロフェッショナル」としての自覚、すなわち、教員による授業の向上こそが、生徒の学力を向上させ、またより良い学校の創造へと導くのである。

 以上、木村理事長から頂戴したお言葉の中でも、私が刺激を受けたものを3つとりあげ、そのお言葉と本校の教育について愚見を述べた。若輩の私が上述のようなことを申し述べるのは、僭越のそしりを免れないが、「浪速」の教員として情熱をもって、より一層教育に励んでゆくことを自覚し擱筆したい。