2020年7月3日金曜日

「断腸の思い」

「断腸の思い」という言葉がある。「はらわたが千切れてしまうくらい辛く悲しい思い」を意味する言葉で、 言葉通り「腸を断つような痛み」を指す。これは身体的な痛みではなく「心境的な辛さや深い悲しみ」を表現するときに良く使われており、同じような意味で「胸が張り裂ける思い」というのもある。大げさでなく今朝の私はこのような気持ちである。それは67年間の長きに亘って7月中旬1学期の終業式後に高校1年生を伊勢神宮に連れて行き「禊」や「神楽指導」を行う重要な学校行事である「伊勢修養学舎」を形を変えて11月に延期せざるを得なくなったからである。今朝最終的に結論を出し確認した。特に卒業生が異口同音に思い出を語る「五十鈴川の禊」は最大のイベントであったが例え、11月に延期しても不可能になった。67年間、男子生徒に思い出を付与してきた禊がなくなったのはまさに断腸の思いである。









 




このように新型コロナは学校の中味にまで浸透していき「9月浪速祭」「11月海外修学旅行」も中止や形を大幅に変えて延期とした。「参った、参った」という感じである。その中でも特に伊勢修養学舎の変更は断腸の思いであり高校校長が保護者宛に出す文章にも断腸の思いという表現があった。私と思いは同じなのだ。今年は神宮会館での二泊三日の宿泊とはせず、「外宮」「猿田彦神社」「内宮」参拝のいわゆる「日帰りお伊勢参り」の形としたのである。私は実務の高校1年の学年主任に往復のバスは3密を避ける為に必要なら台数を増やし間隔を空けて生徒を据わらせるようにすることも検討するように指示をした。

又今日これもコロナ禍の一つであるが市内の老舗和菓子店が「お店を閉じることになった」と連絡が入って来た。例年卒業式の引き出物の「最中」や「入学式の紅白饅頭」、1月の新春拝賀始業式の学院長が生徒に配る「お年玉干菓子」を納入してくれていたお菓子屋さんが廃業となったのである。これも悲しい出来事である。私は事務統括の理事に至急に今後の対応策を検討するように言ったのだが、思い切ってこの際、このような「食べ物」ではなくて、リスクの少ない記念となる物品も検討するように指示を出した。このようにコロナによって不幸な出来事ではあるが仕組みや中身など変革する機会と捉えることも出来るのである。コロナとの付き合いは当分続く前提で我々は学校と生徒を守ることに全力を注ぐしかない。