2020年9月18日金曜日

初心を忘れるべからず

昨日は16時から「専任教諭採用1年研修報告会」があった。昨年4月に私が正式に本学院のクルーメンバーとして定年65歳まで働いて貰う条件で採用した「期待の星」である。最も元気でやる気があったら定年後も70歳までは働いて貰う。今年はコロナの影響で今日まで延びた。例年に比べ、数が多く、9人の研修者だったので、引き続いて行われる職員会議の前の時間を使って、3回に分けて行う。すべては総務部長教諭の采配である。昨日が2名、10月15日が4名、11月12日が3名だ。最も私が楽しみにしている重要な行事である。だって、そうだろう!私が正式採用した教員が専任として身分が安定した後の1年間、どのような成長を遂げているか採用権者が見るのだから、期待と不安が入り混じっている、この心のうちを見ることが好きである。私は「人間に、人物に異常な興味を持つ人間」である。

今回の二人も私の期待を裏切らない素晴らしい研修報告だった。二人とも国語科の教師で共に30歳、一人は国立の愛媛大学教育学部卒のS先生、一人は関西学院大学法学部から同大学院修了の学歴を持つT先生である。S教諭は教師を志した理由がとにかく「学校が好き、人と関わる、仕事をしたい」と教師としての本流である教育学部で学んだ正統派である。T先生は私が卒業証書を手渡した本校卒業生で在学中は硬式野球部の主将だった。本校に戻って来た理由は当時の恩師の言葉「学校に何を与えて貰うかではなくて、何を残すか」が頭に今でもこびりついており、多くの事を与えてくれた恩返しとして学校の後輩に今度は与えたいという。


今の専任教諭の「85%以上」は私が採用した先生や事務職員である。このような組織はあるまい。それくらいこの14年間、学校改革に集中した結果がこの数値である。学校は「教員で栄え、教員で滅びる」。理事長が少々「ボンクラ」でも校長と教員がしっかりしておれば何とかなるものだ。冗談で時々私は言う。「誰のお陰で今、このような大きな学校の専任教諭先生で居ておられるの?」と。答えは当然のことながら「理事長先生のお陰です」と神妙に返ってくる。これは偉そうに言っているのではなくて「初心を忘れるな!」と戒めているのである。

私も含め人間は愚かである。初心を忘れ、現状に慢心し、驕り、視線が狂ってくるものだ。そうなってくると学校はおかしくなってくる。学校の致命的な事は誰もそれを気付かないし、指摘もしなくなる。加齢と共に人間は大体そのようになると思っていた方が良い。教師に聖人君子を求めても意味はない。極めて人間臭い仕事である。しかし「先生、先生」と生徒や保護者から毎日毎日言われ、家族、親戚、ご近所、関係ある人々から「先生、先生」と言われてみなさい。余程の人間でない限り、自分は本物の先生だと誤解するようになる。鼻が知らず知らず上を向くようになる。そこが堕落、腐敗の始まりである。教師は謙虚で慎ましく、この職業は社会から一目も二目も置かれている事を忘れず、「謙虚、謙譲、報恩感謝、生徒への愛情」「生涯学習」でいて初めて「教員ではなくて本物の教師」になれる。