少し前になるが朝刊各紙は興味ある記事を載せていた。それは神戸市教委が学校の管理職たる校長、教頭の昇任筆記試験を取りやめたという。私などに言わせれば「今頃、何を言ってんの?!」と感じだ。しかし管轄する公立学校を束ねる教育委員会で初めてこのような意思を決定した神戸市には一応敬意を表したい。しかし理由はおかしくて学校の管理職の多忙を敬遠し試験勉強も嫌がって誰も教頭や校長になりたいと手を上げる教員が居ないからだという。そういう人にはなって貰わなくて結構だと言いたいね。苦肉の策だと思うが、私に言わせればそうではなくて,「計画的な人材育成」を図って来なかったからだ。今後は意向調査と面談でやるというが、これは恐らく「説得、お願いベース」の話になるのだろうから、こんなことでは良い管理職は得られないのではないか?
本校では事務職を除いた管理職は現在5人いる。高校で校長と教頭、中学で校長と教頭、それに生徒募集で要となる入試広報部教頭で5人だ。今年の4月1日から新体制に移行した。「満を持して」というところである。いずれも私がこの14年間見続けて色々な仕事をさせて観察してきた人物である。入試広報担当の管理職は私が採用した教員だが、他の管理職は私が着任する前から居た教員である。これ以外の教員は一部の分掌部長などを除いて今や本校にはいない。全て辞めて貰ったり、非常勤講師になって貰ったりして組織を整理しながら現在の体制に合致するようにした。それ以外の教職員は昨日のアラウンドで書いたように全て私が採用した人たちである。要は私の後をやりやすいように組織を作り直してきたのだ。
計画的な人材を育成していかないと私立学校は駄目になる。以前外部から招聘することも考えたが結局上手くいかなかった。民間や行政、自衛隊など人材を要する組織はあまたあるが、学校は又「一種独特の世界」であり、私など鉄鋼会社で管理職をしていたからすぐに務まるという簡単な話ではない。私も多くの失敗を重ね、勉強の時間を取って今がある。この経験から私は14年前の着任時から「ずつと」後継者候補を探し、見極め、育てて来た。それが現在の姿である。特に公立に比べ、私立学校は裾野が狭く、人材が豊富にいるわけではない。だからと言ってどうでもよいような「格好だけのボンクラ」を管理職にすれば学校はすぐ病に陥り、死活問題となる。
私立学校の管理職登用に試験や面談など全く不要である。学校設置者たる理事長が毎日毎日見ておれば良い。仕事させて結果を見れば良い。呼んで仕事の報告をさせれば良い。レポートを作らせれば良い。その完成度を見れば良い。口だけは上手いがレポートはさっぱりというのは不味い。仕事が早いか、グダグダ言い訳ばかりで、仕事が遅いか見れば良い。物言い、服装、靴の輝き、ネクタイのセンス、頭の散髪、口臭や加齢臭の具合、煙草を吸うか吸わないか知れば良い。朝早く来るか、夜は何時頃まで学校にいるか知れば良い。字が綺麗か、ミミズが這ったような下手な字か見れば良い。ちゃんと奥さんと仲良くし家庭円満か、これは直接聞けば良い。時々興信所みたいに周辺の評判を聞けばよい。その時は「優しいお人か?面倒見は良いか?」の質問だけで良い。
組織のトップたる理事長がそのように振舞えば大体見えてくるものだ。結局「能力とやる気とお人柄」、これに尽きる。家系や学歴など関係ない。私が終わった後何年後に後の私が採用した若い世代から本校の管理職に誰がなっているのだろうか、当然のことながら、大変興味がある。この目では見ることは出来ないだろうが、ボンクラだったら天国から化けて出てやる。今を含めて3代後くらいまでの管理職候補は既に頭に入っているが、その後の事は知るものか、その時の理事長の仕事だ。その為に今の組織をもっと強くしておくのが私の最後の仕事だ。人は石垣、人は城、中でも学校の管理職は要めである。