2020年11月12日木曜日

少子化の中でも生き抜いて行かないといけない!


本日、我々は「浪速中学校の来年度入学の募集人員を発表」した。まとめて私立中高連が大手新聞社に流しそれを各社が報道している。中学受験生の為で情報を提供する例年の行事である。本校は来年度もここ最近と変わらず90人募集とした。府内私立中学60校の内、遂に北摂にある東京の超有名大学を冠にしている中学校は募集停止を発表している。この中学を除いて59校の募集人員は7508(内外部募集は7040)人であり、対前年度155人の減少だが本校はまだ昨年と同じ数値90人募集で頑張ってみる。公立中学校卒業者数が少子化の中で減少しつつあるが、これらがもろに私立中学を直撃している。だから募集を停止した学校も出るのだ。近年は中高一貫教育の私立中学の人気は高い傾向が続いたが新型コロナやご家庭の経済状態から私立敬遠の流れが出ないか私は心配している。しかし募集人員を下げるなど、ここで退いてはこの先、前には進めない。頑張るしかない。 

しかし少子化の厳しい状況が一段と進んでいるのに今更ながら驚く。これは完全に政府の施策の失敗である。このような大きな政策失敗は歴史上無いのではないか?無策に過ぎた。これで日本は国力を落とした。日本全体の黄昏の到来だと私は思っている。「少子化対策は主に厚生省が担当する」と政府内で決まった1990年代、この省はもう一つの大きなテーマを抱えていた。「介護保険の創設」である。この二大テーマが一度に与えられたが、厚生省はこれに同時に取り組むのではなく、「介護重視」を選択した。2000年に介護保険法が施行され、今では10兆円産業にまで拡大している。予算を比較しても、少子化対策(国際的には家族手当政策)は介護の十分の一である。少子化対策は真正面から取り扱われることなく、常に後回しとなり、介護の陰に隠れてしまった。人口をキープする為に年寄りがより長生きする方向に主力を注ぎ、次々世代を担うだろう「新生児」(生まれてくる赤ちゃん)を増やす施策は無策であった。 

当時は政府も政治家も少子化問題に無関心だったと言っていい。今日ようやく少子化に目が向けられるようになったが、まだまだだ。資料を見ると、明治維新直後の1872年の総人口は3400万人であった。それが1912年(大正元年)には5000万人に増加。さらに1967年(昭和42年)に初めて1億人を越え、翌年にはGNP世界第二位の経済大国となった。しかし、2008年(平成20年)の12808万人を頂点に人口減少に転じ、30年後の2050年には1億人を下回ると予測されている。最早大国ではない。30年なんてすぐ来る。日本は長生きした年寄りばかりで働き手の少ないいびつな国になることは明々白々で誰もが思っていることだ。これらは数値だから間違いない真実である。 

肝心の「出生数」でも、第一次ベビーブームの194749年で毎年270万人、その後も47年から52年では、毎年200万人が誕生した。さらに197174年の第二次ベビーブームとでは、最も多い73年でも210万人はキープされていた。しかし無策は響き、その後も少子化はドンドン続き、2012年の新生児は1003000人で、100万人割れ寸前となった。そして厚生労働省は今年の65日衝撃的数値を発表した。2019年の出生数は何と驚くことに865,234人で、1899年の調査開始以来過去最少となった。この傾向はまだまだ続く。 

私は今日の職員会議でもこれらの事を詳しく話し、「女性教職員を大切にする学校」「少子化の中でも生徒が集まる学校作り」を目指していこうと話したのである。現在平均年齢28歳の今日集団が本校のこぶであり、この先生方が30年後でもまだ60歳未満と若い。この間少子化の中で生徒が徐々に少なくなると教員数過多となり、人件費は経営を圧迫し学校経営は行き詰るだろう。そうならない為にも、一介の私立だからやれることは限られているが浪速教育に自信を持ち、少子化の中でもしっかりと前に進む本校にしていこうと私はマスクを付けながらも熱く話したのである。優勝劣敗の時代が来た。コロナ禍の中で勝ち組、負け組の2極化である。本校は少子化の中で何としても生き延びて行かねばならない。