「でもしか教師」という、今では使われなくなった言葉がある。教師にでもなるか、教師にしかなれないと学校の教師を揶揄した言葉である。確かに戦後復興の過程で高度経済成長の道をひたすら走っていた我が国は産業界が優秀な人材を引っさらい、確かに学校の教師と言う職業は理不尽にも一段低く見られた時代があったことは事実かも知れない。しかし今は違う。難関職業と言われ、年俸も経済誌に拠れば100業種の中でプロ野球の選手をトップに14番目くらいに位置し、決して給料の安い職業ではなくなった。しかし大学を卒業してすぐ教師になるのがベストでそれ以外の経歴は駄目だとする意見には決して賛成しない。どちらかと言うと教師になる前に民間経験は人間の幅を広げ、本流の教師より人物的に面白いと感じる時もある。
昨日は職員会議の日であったがその前に「専任採用1年目研修」の発表があった。コロナの影響で3回に分け、都合9人の新人専任教職員の発表で昨日は事務職員を含む3人であった。合計9人の先生の内、「事務職員を含む3人が民間経験」を有している。後の6人は「絶対教師になる!」との強い意志で大学、大学院で学び卒業後すぐに教師になった人々である。仮に本筋の教師と表現しておこう。この6人の先生は絶対に「でもしか教師」ではない本筋の教師である。民間経験の3人は塾業界、大手民間企業、中手民間企業の経験を重ねるうちに「教師になって世の中の手助けをしたい」「学校で勤務したい」と考えるようになり、覚悟して本校に求職してきた人々だ。大学卒業後自分の進路を決めて世の中に出たが、様々な事情から今までの職業にきっぱり別れを告げ、「学校の教師になる!」「学校の事務で先生方の手助けがしたい」と本校で1年契約の講師から始め、3年から4年の風雪を経てやっと「専任の地位」を得たのだ。素晴らしいではないか!これらの先生も本筋の教師である。私は断言する。
今回の研修会の3人の内女性の英語教師は以下のような経歴を有している。京都の有名私立大学の外国語学部に入学、そして2年間オーストラリアに2年間語学留学、大学を卒業。名の有る大手企業に就職し、営業職として4年間勤務。しかしながら教師になって生徒に教える、伝えることに魅力を感じ始め、生徒に自分の経験を活かし進路指導に関わりたいと考え、再度千里にある有名な私立大学の文学部に編入学し教員免許を取得。そして本校の英語教師になった。英検は準1級、TOEICは935点とほぼ満点に近い。既婚者である。彼女は研修会でこのように述べた。「生徒にとって保護者以外に身近な大人は教員です。私はこの事をいつも頭において生徒に当たりたいと思います。」私は浪速でこの研修会を作り、14年間、続けてきたがこのような発言を初めて聞いた。
又このI先生の履歴書には以下のように書いてあった。「英語指導も勿論ですが、現代社会を生きる力、社会人としてのマナーやモラルを培う教育をしたいと思います。」このような人物に出会える学校という場所は素晴らしい。「学校、教師、万歳!」と叫びたい。これがあるから私は学校を辞められない。良い先生が学校を高める。「良い教師こそ学校の宝」である。最後の講評で私は次のように述べて締めくくった。「健康に留意して本校で教師としての人生を全うし、自己実現を図って欲しい。木村ではない、全ては生徒の為にお力を」と述べて、並み居る先生方に頭を垂れてお願いしたのである。