幾ら良い法律を作ってもそれを運用する組織体に本気でその法律を活かす気持ちが無ければこのようになる。2007年安倍内閣の時に「鳴り物入り」で導入された「教員免許更新制」が廃止されることになった。理由は教員への受講時間や受講料などの負担感と「資質向上に効果が薄い」という。私などに言わせたら「何でやねん?!」と言いたいところだ。一度教員になれば「先生の資格」は一生ついて回り、一般人でも運転免許の更新などあるのに、教師として勉強も研修もせず、「のうのう」と昔取った杵柄で生きているだけの教員を無くすために作った法律だった。10年に一回の筆記試験ではなく単なる研修会などでは誰でも簡単に通過でき、通過率は99.43%だったと言うから、運用が「豆腐みたいなふやふや」のものだったのだろう。
仕方がない。やはり教員として駄目な人は辞めて貰うしかない、最後は「免職」にするしかない。「分限免職(ぶんげんめんしょく)」という聞きなれない言葉があるがこれは公務員の職を免ずることである。教育公務員も対象である。免職には3つある。本人の意思に反して退職させる「懲戒免職」「分限免職」のほかに、広義では申請に基づいてなされる「依願免職」があるのだが、懲戒免職は非行に対する制裁であって、これを受けると退職金が支給されず、年金も減額される。これに対して分限免職は「職務の適格性を欠く者」に対してなされ、退職金も年金も支給される。「教員が一定の事由により職責を果たせない場合に、公務の効率性を保つために、その教員の意に反して行われる処分」のことで、「分限」とは「身分保障の限界」という意味である。
つまり「あなたはこの仕事に向いていないのではないか」「他の職に移った方がいいのではないか」という意味合いが含まれた処分である。今から18年ほど前だったか、大阪府では高校入試問題を高校の数学の先生に解いて貰ったところ、30点そこそこしか取れず、その教員は分限免職となった。高校入試問題ですぞ!当時日本で確か初めての教員の分限免職で、教育委員会が「伝家の宝刀を抜いた」と言われ、社会で大きな話題となった。全国で同じようなことが散見され、文部科学省は前述の教員免許の更新の法律制定に繋がったのであるがこれも駄目だったのである。免職以外の分限処分には「降任」、現在の職よりも下位の職に就くよう命じる処分、「休職」、職を保有しつつ、一定期間職務に従事させない処分、「降給」、給料を現在のものよりも低くする処分の3つがある。
このように、「分限処分」とは本来やるべきことを何かの原因でできなかった場合に、職務に支障を来たすと判断されて処分されることで、分限処分を下す目的はあくまで「公務の効率性」と「公平性」だと言える。勉強を学びに学校に来ている生徒に対して「真の意味で教えることが出来ない教員が存在する」ことは有り得ない話で、このような教員は間違いなく転職して欲しいと思う。勿論、勤務態度や校務運営の的確さ、生徒への体罰、情報管理等々色々と事由はある。本校は私立学校だから教育公務員に適用される法律はないが、これに準じて「就業規則と内規」を完備しており、執行できるのは理事会であるから理事会を総理する理事長の責務である。学校は生徒の為に有るもので教員の為にあるものではない。今までは契約ベースの常勤講師に対して「お願いベース」で言ってきたが、私は一生身分保障がされている専任教諭に対しては「法の適用」で淡々と粛々と学校を守る為にはやるしかない時もある。結構しんどい仕事で辛いが心を鬼にしてやってきた。今まで私はいわゆる分限処分で2人の専任教諭、懲戒免職で2人の専任教諭に辞めて貰った。法廷で争うこともなかった。彼らも分かっていたのである。本人自身が一番自分を知っているのだ。