アーカイブ⑬にて旧制浪速中学の経営難について詳述した。神職の方々は酒一号、煙草一本を惜しんでまで折角自分たちが建てた学校を護ろうと努力された。そして「教育後援会」を組織して広く支援の輪を広げる努力もされた。学校経営とは「神々に神明奉仕する神職の方方」にとって初めての経験であり、創立から敗戦まで「大阪府の行政」に頼り切っていた神社界にとっては「右顧左眄」、何をどうして良いのか手探りの状況だったと想像できる。多額の公金で運営されている公立中学に対して私立中学は一個の会社を経営するようなもので、売り上げを上げ、コストを下げて利益を生むと言う概念から逃げることは出来ない。確かに教育という崇高な営為であるが「先立つものはお金」であることには昔も今の間違いの無い事実である。
ところで本校の40年史には大変貴重なデータが残っている。「大正15年当時の学校経費」である。それによれば歳入歳出額が56197円で、歳入の内訳は大阪国学院からの補助が10000円(17.8%)、授業料44000円(78.3%)、検定料600円(1.1%)大阪府補助金1500円(2.7%)、繰越金97円とあった。授業料収入は生徒800人分で一人平均55円とあり、検定料は入学者数300名とおいて一人2円の計算であった。これらを観ても収入の80%程度が授業料であり、当時の授業料55円レベルはほぼ府立中学に対して同じレベルであると思う。
ちなみに歳出の部では教職員俸給が43260円であり歳出全体の77%となる。今日の学校経営での重要な判断数値となる「帰属収入に対する人件費比率」という見方でみると帰属収入は府の補助金を入れて55500円となり人件費比率は78%となる。この数値をどのように見るかであるが平成21年度当時の全国平均が65.6%、大阪府の平均が71.5%、であるから当時の教職員の給与は少なくとも安くはなかったと言える。大正15年の教職員の数が正確ではないかもしれないが卒業写真から数えてみると31名であった。これから人件費を割ってみると教職員一人当たり月額116円となり相当高い数値であったとも思えるが」不確かである。大正15年当時の旧制浪速中学校の授業料が年間55円,教職員の月給が116円と言っても現在価値では一体幾らぐらいになるのであろうか。
この価値について日本銀行が記録している「企業物価指数」から推定してみると面白いかも知れない。しかしそれにしても大阪府からの補助金の1500円(2.7%)は少ないと感じる。現在における補助金比率は30%程度でありこれを見ても今日の私立学校の恵まれた環境が分かる。令和3年度の学校会計の決算書類「資金収支計算書」からすれば、生徒納付金収入が13億3600万円、検定料の相当する手数料収入が4500万円、補助金収入が11億0000万円だから創立時から100年経過した現在で比較すると全てが分かる。収入を上げることは生徒を増やすことであり、行政機関は「私学保護」の為に補助金も増やしてくれた。有難いと思わねばならない。この補助金は「良い教育」の為であり、良い教育を展開すると生徒も増えてくるというのは昔も今も変わらない構図なのである。