「出るぞ、出るぞ!」と期待していたが、「残念ながら出なかった」。それでも「これほどの古書が纏まって、それも範囲が広く出たのを見たのは初めてです!」「是非、図録を作って保管し内外に公にすることを勧めます!」と言われた。「重要文化財や国宝に相当する和本や古書は無かったが古いもので江戸時代初期のものが多くあり、それも全巻揃ってあるのは珍しい!」とまで言われた。このように言われたお方は「国立大学法人総合研究大学院大学、文化科学研究所、日本文学研究専攻」の「●●教授」である。5月31日、わざわざ東京からご出張下さり、昼のかかりから夕方の18時過ぎまでお一人で休憩も取らず目を皿のようにして古書に向かい合ってくださった、大変立派な研究者である。
旧校舎の時代から倉庫の一隅に古めかしい段ボール箱が何十個もあるのは分かっていたが仮設校舎を建てる費用が勿体なくて、双六のように順番に新校舎や付属設備を作りながら進めたので、この段ボール箱はあちこちに移動されたが、廃棄せずに保管を続け、一時期には多聞尚学館にまで持って行って保管した。今ようやく落ちついてきたので箱の中身を取り出してみると「出るわ、出るわ」で大騒ぎになったのである。私は総務部長と図書館のS司書の案内で図書館の閉架にこれらを見に行った。この目で初めて古書を確認したのである。今回の発見の最大の貢献者はこのお二人であるが、元来、古いものが好きな私であり、次々と見せられる和本に些か興奮した。「延喜式」「古事記伝」ほか神道に関する和本を主体に膨大な書物を見ると誰でもこの中に国宝クラスや、重要文化財的なものがあると期待をしても不思議ではない。残念ながら国宝級は出なかったがこの方面の研究者にとっては垂涎の図書も多数存在するとの事である。
31日の前日には理事会・評議員会があり、私はこれらの図書を8階の図書館に並べ、神職である役員の方々に見て戴いたのだが、その時にも皆さん、「びっくり仰天」であった。さすが神社の宮司さんであり、興味関心が尽きないようであった。推測であるが、これらの和本は、明治時代に全国に創立された、国学研究の為の「皇典講究所」の大阪支部から恐らく持ち込まれたものであろうとの意見でほぼ一致した。現在の大阪府神社庁と並列で組織されている「大阪国学院」の前身である大阪皇典講究所が戦前戦後、空襲等からこれらの書物を護り抜くために旧制浪速中学校に一次保管でも持ち込んだと考えるのが妥当との結論に達した。
評議員会後の理事会で大阪神社庁の庁長から「府内のお宮の中にはまだまだ古書があり、今後の取り扱いに困っている」という話があり、私はその瞬間、今年から来年度以降にかけて建設するNS館と新中学校棟の何処かに「一部屋設け」、そこを「浪速学院文叢」と称して神道に関する和本や古書をとりまとめ整理することを思いついたのである。「叢」とは草が群がり生える様を言い、要は「くさむら」であるが、
群がり集まるなどの意味もあるから、よく使われる「文庫」よりも似合いそうだと私は決めた。時期についてはまだ未定であるが何時かの時点で生徒数は今よりは減少する見込みでありその時点で作れば良いと思う。来年の「令和5年は創立100周年」を迎えるから、これから私は各神社に寄付金をお願いしなければならない。その時に各お宮に処置に困っている和本や古書を浪速学院がお預かりしましょうと言う積りだ。