2022年6月1日水曜日

一斉参拝 学院長講話「温故知新と不易流行」


今日は「一斉参拝」の日であった。例年なら今日から「衣替え」でジャケットを脱いだ全校生徒の白シャツ姿が目に眩しい光景が眼前に広がるのだが、今日の一斉参拝も代表生徒のみで後は「遥拝」の形となった。仕方がない。この日の理事長・学院長講話の中味は何時も家から出掛ける前の朝食時辺りに考える。しかし16年も長くやっていると季節や学校行事などを反映した話になってくる。6月の話の皮切りは最近では何時も次の和歌から始めている。高校古文で学習する持統天皇が詠んだ歌で、万葉集に入っている歌だ。私がこの和歌が特に好きだと言う事もある。今更、意味の説明は不要だと思う。

「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣ほしたり 天の香具山」

 全校生徒が勢揃いして神社前に立つ白シャツ姿の光景は清潔で若々しくすがすがしい。奈良時代に編纂されたこの歌は鎌倉時代になり、後鳥羽上皇と藤原定家が「新古今和歌集」を編纂した。その2000首の中にやはり持統天皇の名で同じ歌がある。

「春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」

万葉集の写実的な力強い歌から年月を経て、もはや香具山には衣を干す風習も無くなり選者の定家は「伝聞」の形となる「夏が来たら衣を干したと言う」風に改め、元歌の持統天皇の偉大さと追憶に浸ったのではないかと私は勝手に解釈している。

今日の代表生徒による参拝の光景


参考までに一昔前の一斉参拝の光景

その後私の話は「温故知新」と「不易流行」という言葉の説明に移り、前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し、自分のものとする努力を強調した。「温」は“あたため”と読んでも良いが「たずね」と読むべきと教え、古いものを、簡単に切り捨てるのではなくて、それを出発点に新しい事柄を知る重要性を語った。又不易流行は俳聖と言われた「松尾芭蕉」が使った言葉で“いつまでも変わらないものの中に新しい変化を取り入れる”ことを指す言葉であり、新しさを求めて変化をすること自体が、世の常であるということを教えたのである。


 

そして結びの言葉として「今から99年前」に旧制浪速中学校を先人は作ってくれ、僅か204人の入学者で歴史を刻み、99年後の令和4年4月1日の入学者は中高合わせて1013人、教室数は24教室と今や大阪を代表する私学に育ってきたのも、この地に学校を作ってくれたからこそ「今がある」と私は声を大きく生徒と教職員に伝えた。特に今月の講話は教職員という言葉をわざわざ出して先生方にもお伝えしたのである。君たちの将来は君たち自身が変えて行かねばならない、今から20年後、30年後、40年後に自分はどうありたいかを考え、今この時、行動するのは「目に前にあることに一生懸命に取り組む」ことだと述べて本日の一斉参拝の講話を終えた。


関連記事 高校School Watch