2022年9月6日火曜日

茶道部への支援、井戸茶碗を極めたい!

 私はとにかくクラブへの支援を惜しまない。私のやり方は「口だけ」ではなくて具体的かつ実践的な事であろう。お金に余裕があるわけではないが資金は順序立てて積立、まず「練習場」を確保することである。それも「機能的で、いささか豪華に」だ。さも”用意しました然”とした、ありきたりな風情の練習場所など作る気は全くない。今までの日本の高校で観たことの無いような設備・施設を造る。本校が将来財政的に窮し、いざとなれば他者に対して高価に売却できるくらいの物を作るという気概の哲学である。空手、柔道、剣道、弓道、雅楽、神楽、茶道部の為の複合施設である「浪速武道館」が最初だった。次いで硬式野球、軟式野球の為の「ふくろうスタジアム」、そしてサッカー、ラグビー、アメリカンフットボール、陸上競技の為の「乾坤一擲ドリームフィールド」と進め、ここにはテニスの「八咫烏テニスコート」が5面あり、今年は「産土ゴルフ練習場」が完成した。 

運動部は分かり易いが大切な事は文化系クラブへの支援だ。運動が出来なくとも文化部門で才を発揮する生徒は多い。茶道部、華道部、雅楽部、神楽部、吹奏楽部の基幹クラブに加えて本校には全国レベルの放送部などがある。また近年では鉄道研究部が大活躍で南海鉄道さんの町興しの為の大きな大会で特別表彰され、電車の1両目にヘッドマーク看板が飾られることになった。それ例外にも活躍しているクラブは多い。中でも私は本校の建学の精神にのっとり、茶道部の事を常に気にかけている。100周年には「学院神社へのお献茶式」を本校茶道部によって行いたいと考えている。表千家お家元から頂いたお茶室の銘「洗心亭」にて生徒は頑張ってくれているので、過日は私はお稽古道具の授与式で激励したところだ。指導者はお家元直系の高弟、木村雅基宗匠でNHK教育テレビに良く出られている。昨日は本校出入りの堺市の茶道具屋さんの出であられ、表千家でも今や格段高級レベルの方々の指導者であられるK先生が見えられ、暫くお茶談議に時を過ごした。このお方もお家元の直弟子である。 


最近私は滋賀県の大津市で開窯されている陶芸家の安田道雄先生宅を訪問し一つの茶碗をお譲り頂いた。先生は高麗茶碗では名の良く知られた先生で特に井戸茶碗では私の知るところ、大一級の研究家であり作陶家であらせられる。「一井戸二楽三唐津」と言われるお茶人垂涎の井戸茶碗作りに何年も挑戦されている。又人格的にも素晴らしいお方であった。得た茶碗は国宝の「喜左衛門」倣いである。国宝に倣ったこのお茶碗を使って茶道部は「茶道の真髄」を体感して欲しいと思う。今産経新聞は「利休生誕500年」として特集記事を出しているが、「織豊時代」に始まったお茶の歴史は今に繋がり、日本文化の根底となった。紆余曲折があったが明治維新を切り抜けた茶道は今日でも「おもてなしの心」を日本人に伝えている。調べてみると学校教育に茶道を取り入れた最初の学校は東京神田の「跡見学校(後の跡見女学校、現在の跡見学園女子大)」であると言う。



創立者の跡見花(かけい)は大阪の西成の裕福な家に育ち、女子教育の中に茶道を加えた最初の学校人である。令和3年の茶道人口は約92万人で内、男性が18万人、女性が74万人と言う。10年前から見れば男性が2万人の減少、女性は何と、何と76万人減と半減している。神道と縁深い茶道人口減少をいささかでも食い止めるために本校の茶道部と共に頑張らねばならない。私は徹底して茶道部を応援する。その為に自ら生涯最高だと自負できる「木村井戸茶碗」を茶道部に残すべく、時間を見つけては粘土と闘っている。最近「電気窯」を入手した。出来るかどうか分からないが最後まで頑張りたいと思う。師匠は名人陶芸家の安田先生にお願いし快くお引き受け頂いたのである。