2022年9月14日水曜日

100周年バッジと赤井英和氏の言葉

 私の洋服の上着、左襟には常に「100周年バッジ」が付いている。来年の4月30日までは少なくとも着用する積りだ。これはこの学校を「100年前に創立してくれた先達」と今日まで辛酸の中で「学校を護り存続してくれた多くの先輩たち」への「感謝の気持ち」とこれからも「学校の存続」の為に今日一日を大切にする「覚悟」を表す意味で付けている。今朝も10月1日付けの人事の内示で常務理事と高校校長、教頭同席の下、一人の教員を部屋に呼び入れた。幹部人事であり、まさかこの教員はバッジを付けずに私の部屋に入る事はないだろうなと少し心配したが、杞憂で、やはりちゃんと付けてくれており、私は安堵した。少なくとも今居る教職員と生徒には付けて欲しいと思い、既に全員に配布している。 


教職員はこの学校があればこそ、今の生活が成り立ち家族と幸せに暮らしていけている。私から「この人は学校に必要な人材だと」して専任教職員として採用され、少なくとも65歳までは雇用される身になった「恩義」を忘れず、恩の対象は私ではなく、先達と先輩に対してである。感謝とは学校の為に「一生懸命に働く」と言う事だ。さすれば安定した今の幸せは続く。ここは学校だから言い換えれば「生徒の為に」働くということだ。これが「報恩」である。学校に関係ない人々にバッジを付けて下さいと言う訳には行かない。しかし私は学校外ではあるが本校に近い人々には差し上げて時々でも良いから付けて貰う様にしている。例えば同窓生や物品などの納入、学校の行事の遂行に協力いただいている会社関係の人々だ。そのようにして来年4月を迎えたいと思う。 


過日串カツだるまの上山会長が自社ビルの屋上に神社を創建した時に私は来賓として呼ばれた。その時に会長と俳優の赤井英和氏に自らバッジを手渡した。彼らは大いに喜び、特に会長はあれ以来、何処に行くときも付けているそうだ。会長は「自分が今日あるのは浪速高校のお蔭」だと何時も言われる。私は嬉しい。その時に赤井夫人から「先生、息子が監督した赤井の映画出来ます。」と言われた。それで「ポスターを学校に持って来なさい」と私は言い、後日上山氏と赤井氏が学校に持参してくれた。母校を頼る卒業生は可愛いものだ。私はこのポスターとチラシを校内に貼って又配った。その映画が今上映中である。浪速高校時代の赤井さんがメインの映画だというのでボクシング部の顧問や生徒にはチケットを学校で手配し鑑賞させている。 




昨日大阪日日新聞はこの映画の事を記事にしていた。素晴らしいのは赤井さんの発言である。彼は次のように述べている。「生きていれば何とかなる。昨日でも明日でもなく、今この瞬間を大事に生きる」と。この言葉こそ、神道の教えである「中今の思想」である。私は言いたい、「赤井よ、良く言った!」と誉めてやりたいと思う。過去を悔やまず、明日を心配せず、昨日は昨日、明日は明日の風が吹く、「今を一生懸命に生きよ!」が何時も生徒への講話で述べる言葉であり、赤井さんはそれを言っているのだ。このようにして浪速のDNAは繋がっているのである。忙しくて時間が取れなかったが私は急遽予定を変えて難波の映画館に向かったのである。