大阪唯一の村である千早赤阪村と本学院とは関係が深い。私個人の「隠れ家」というか、趣味の陶芸に没頭できる週末ハウスも「多聞茶寮」と名付けてこの村に有している。この地には「建水分神社」という大変有名な神社があり、ちなみにこの神社の宮司様は本学院の評議員を務めて頂いている。21日宵宮、翌22日に秋晴れの中、本祭が挙行された。秋の実りを感謝するお祭りとして建水分神社に奉納される御神輿渡御祭が「千早赤阪村だんじり」である。とにかくこの祭りは凄い。都会の喧騒から離れたのどかな村が、お祭りの日だけは大にぎわいになり、周辺3市町村(富田林市、河南町、千早赤阪村)の各氏子地区から、20台近くの地車が宮入りする。私の隠れ家から200メートルにある「御旅所」へ曳行された、全地車が参集した風景は河内随一と謳われるほどで壮観である。私の茶寮前を通るだんじりを、お祭り大好きの人間である私は当然「わっしょい、わっしょい」と叫んで盛り上げるのだ。
お祭りも終わって、今日は24日、「秋晴れ」の中、久し振りに私は「多聞尚学館」に赴いた。この校外学習施設は本校の「宝物」である。学校改革に着手した私が最初に手掛けたプロジェクトであり着任して2年後の平成21年には開館式を行ったくらい信じられないスピードで入手出来た旧多聞小学校である。大改造を行い、多聞尚学館と名付け、定期的に改造を加え、今や200人の生徒が宿泊しながら学習できる有効な施設となった。今思い出しても感慨深い。コロナで宿泊学習合宿を自粛したが一時は年間延べ5000人を超える生徒の学校ではない非日常の学習施設となった。その成果は計り知れない位大きいと思う。
この施設を千早赤阪村の当局は災害発生時の「避難場所としての施設利用」をさせて頂きたいと申し出があり、私は即座に了解した。お世話になっている村の住民がいざと言う時にこの施設を使って下されば教育機関としてもこの上ない喜びである。本日の協定の「調印式」は南本村長、稲山副村長、村政戦略部長、菊井危機管理課長の出席で学校からは私と宮木常務で行った。指名を受けて私はこの千早赤阪村とのご縁を振り返り、今後とも永いお付き合いをお願いした。少子化、高齢化で今後の村の将来像は必ずしも平穏で無いかも知れないが大阪府唯一の村として「太平記」が記す歴史の故郷である。大楠公こと、楠木正成公の生誕地としてますます住民の皆様が誇りを持って楽しい住みやすい土地として発展されることを祈っておりますと申し上げ、無事に調印式は終わった。