「一天にわかに掻き曇る」と言う表現がある。この場合「一転」と書きそうだが正しくは「一天」である。読み方は「いってん にわかに かきくもる」と読み、大空に雲などが発生し、空全体が突然暗くなることを意味する表現である。実に日本語は奥行きがあり、様々な表現ができる。昨日、橿原神宮には15時には到着し宮司他にご挨拶した。その時はまだ空は青く、少し蒸し暑さも感じる天気であったが、何と「海道東征」が始まったその時に、一天空は曇り、辺りが暗くなって来た。同時に風がビュービューと唸りを上げ始め、拝殿の右側にそびえる「畝傍山」の黒き樹々が揺れるのをこの目で見た。そして「雨と雷鳴」である。私はこの時、初代天皇陛下であらせられる神武天皇が今日の佳き日を寿ぎ、恐れ多くもお涙をお流しになったのかと思った。しかし式典は粛々と進み、雨の中で、海道東征第1章「高千穂」が始まった。
歌うは神戸市混成合唱団の皆様でそれまで有していたイメージを払拭し、プロのなせる技で高らかに交聲曲は雨の中、広い境内の隅々まで響き渡るソプラノとアルトの声で埋まった。雨は音を研ぎ澄ませるのかも知れない。司会者の誘導で人々は境内前の設えられた椅子席を離れて「回廊」に移動したがその間全く自然体で何時の間にかと言う感じで観客がまるで「回り舞台」で移動しているような感覚に陥った。予定通りに全てのプログラムが終わり、久保田宮司様のお招きで豪華な宴の会場である「養生殿」に移り、謝恩会は始まった。昨日のアラウンドに書いたようにこういう場合、名刺は沢山用意しておかねばならない。案の定、次々と皆様と挨拶を交わす頻度は半端ではなく、用意した名刺は残りわずかとなっていた。こういう場合、名刺不保持や切れましたなどは失礼な事である。
式典の司会役はラジオ大阪のあの有名な看板アナウンサーの原田さんであった。この方から是非と登壇を求められ、「学校法人浪速学院と海道東征とのご縁」について話せと勧められた。恐らく産経新聞社の古い知人が根回しをしていたのだろうと。この記者は私と共に海道東征の道を辿って九州に旅したことのある歴史学者と言っても良い敏腕記者である。私は包み隠さず、本校が持つ宝物である学院曲「海道東征浪速」の誕生経緯についてお話しした。会場に埋まった人々には初めて耳にする話だったのだと思うが、会場は静まり返ってしわぶき一つ聞かず、聞いて頂いた。「秘話」など人の耳を傾けさせるものは無い。私は日本の学校で初めて、そして恐らく最後の学校になるかも知れない海道東征の曲を校歌ではない学校曲とした喜びと誇りが特別に私の「活舌を滑らかに」した。夕刻7時、終わって会場を出た時には雨は既に上がっており、晴れた夜空の中で私は思いっきり澄んだ空気で胸を膨らませた。
今日は28日、土曜日、第1回目となる「高校の入試説明会」の日であった。情報に拠れば今年前半、府内を騒がせた高校授業料完全無償化が結果として「私立への風」を起こしたのか、総じて「私立人気が高い」と言う。本校でも事前予約制で人数制限を掛けているが枠は一杯で、今日も多くの受験生に来て頂いた。先行きに今のところ不安は無い。維新の進めた高校の授業料完全無償化は皮肉にも公立から私立へと受験生の目を向けさせる契機となったのかも知れない。まあ、嬉しい話であり、心おきなく明日から修学旅行に合わせて沖縄に飛ぶ。考えて見れば十数年ぶりの沖縄で是非生徒と共に改築中の「首里城」を見たいと思う。