今日は神社界において大変に有名な宮司様が初めて本校を訪問して下さった。橿原神宮の久保田 昌孝宮司である。東京都のお生まれで、國學院大學卒業後、1974 年より橿原神宮に奉職され、2014年より橿原神宮宮司の宮司を務められている。私とは令和元年、5月27日に「平成から令和への御代替わり」を記念して本校の学院曲である「海道東征浪速」を奉納演奏して以来ご厚誼を頂いており、今回の訪問となった。訪問の目的は海道東征の奉納演奏を再演して欲しい旨の公式な依頼に宮司様自ら御足を運んで来られたのである。
8年前の初めての本校吹奏楽部の海道東征奉納演奏時に痛く感動せられた宮司様は「もう一度聞きたい」と前々から人を介して要請を受けていたが、学校の見学を兼ねて初めて校内に入られ面対で依頼を受けたからには答えは一つ、こちらから「是非やらせてください」とお受けした。最初から最後まで本校の隅々まで視察された宮司は「このような学校は今まで見た事がない」とまで言われ激賞に近い賞賛を頂いた。
奈良県橿原の地は「建国の聖地」とも言うべきところで、ここから「日本という国が始まった」と言える。日本最古の正史ともされる「日本書紀」に日本建国の地と記されている場所である。「天照大御神」のご子孫である神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)/初代神武天皇〉が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山〈うねびやま〉東南の麓に橿原宮を創建されたのが紀元元年とし、天皇として即位されたのが今からおよそ2,687余年前のことだ。だから橿原は日本の歴史と文化の発祥の地でもあり、日本と言う国の根本・原点ともいえると私は考えている。
御祭神は当然、「神武天皇」とお后の「媛蹈韛五十鈴媛皇后」(ひめたたらいすずひめこうごう)であり、神武天皇は、天照大御神の御孫・瓊瓊杵尊〈ににぎのみこと〉の三代目にあたる。互いに争うことのない、永遠に困窮しない国を実現するため、九州の日向国(ひむかのくに)高千穂から、国の中心地を大和を目指して東へ向かったから「海道東征」である。この「東遷」を経て国内を平定され、ついに大和三山の一つ、畝傍山の東南に位置する「橿原宮」で第一代天皇として即位された。明治に入り、神武天皇の御聖業を仰ぎ、橿原宮址に神宮創建の請願が民間有志から起こり、これに深く感銘を受けられた明治天皇は、京都御所内の天照大御神がお祀りされていた内侍所(賢所)を御本殿として、また、新嘗祭が執り行われていた神嘉殿を拝殿として下賜され、そして明治23年4月2日、「官幣大社・橿原神宮」が御鎮座し、創建となった経緯である。
御神徳は「開運延寿」「開運・招福」である。又「健康延寿」も言われている。神武天皇は御年45歳で日向国〈ひむかのくに〉を御出発になり、6年という年月を経て大和国に入り、畝傍山の東南、橿原の地に都を定められたが、神武天皇は、橿原宮に即位されてより、御在位76年、実に127歳(古事記では137歳)の御長寿を全うされたという。この事は、神武天皇がいかに御長寿であられたかを物語っており、いつの時代も私達国民が心から願う健康並びに延寿の理想を初代神武天皇自らが具現されたと「日本神話」は私たちに教えてくれていると私は思う。御年127歳などあり得ないと言ってはならないと思う。今から2680年前の神話の世界の事である。少しくらいの変動は有っても決しておかしくはない。

