最近ある会合で「橿原神宮」の話になり、一般人のある方が「あのお宮はまさに神社らしい神社ですね」と言われたことがあった。このような言い方をする御仁はさぞかし多くの神社を今まで参拝されてきた人なんだなと思った。確かにこの宮は少し趣が異なる。「はじまり」と言う感じ広い境内に漂う。何となく分かるような気がする。今日は総勢250人を引き連れて奈良県橿原市の橿原神宮に参拝に出かけた。橿原神宮庁から本校吹奏楽部の楽曲である「海道東征浪速」の奉納演奏が許されたからである。それも場所は通常は許可されない内拝殿の真ん前だから如何にご配慮頂いたか分かる。有難い限りである。
ホームページの最初には「建国の聖地・橿原、ここから日本という国が始まりました。」という字句が迫る。日本最古の歴史書「古事記」や正史ともされる「日本書紀」において、「日本建国の地」と記されたのが橿原の地である。天照大神の血を引く「神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)」が、
豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から海を渡って東に向かい(海道のこと)、 想像を絶する苦難を乗り越え、向かい来る豪族や敵と戦いながら(東征のこと)、畝傍山の東南の麓に橿原宮を創建され、初代神武天皇を宣言されたのである。
第一代天皇として即位された、この時が我が国の「紀元元年」になる。今からおよそ2,600余年前のことであるから、西洋の暦、「西暦」よりも古いのである。従ってここ橿原は日本の歴史と文化の発祥の地でもあるし、日本の原点とも言える。当然、橿原神宮がお祀りしているのは、第一代神武天皇と皇后の「媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)」といささか読みにくいが古代の神様のお名前はすべてそうだから仕方がない。
初代神武天皇は、天照大神の天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこ)とより四代目に当たり、正式には「神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)」ととても覚えられないお名前が正式なお名前ある。皇后様(媛蹈韛五十鈴媛命)は、大物主命の御娘に当たる方で、父上は三輪山に抱かれている「大神神社(おおみわじんじゃ)」のご祭神である。
このようにして天照大神が天孫・瓊瓊杵尊に仰せになった「豊葦原の瑞穂(とよあしはらのみずほ国)はわが子孫の君たるべき国なり」のお言葉通り、神武天皇が国内を統一なさり、畝傍山の東南・橿原の地に皇居を造られ、即位の礼が行われ、それを形にする為、明治時代に入り、建国の神武天皇の御聖徳を永遠に尊び敬いたいという思いから、この地に神宮創建をという請願が民間有志より出された。明治天皇がこれを深くほめたたえ、元京都御所の賢所(かしこどころ)と神嘉殿を下げ渡され、明治23年4月2日、官幣大社・橿原神宮として御鎮座になったのである。時代は明治、大正、昭和、平成、令和と連綿と続いており令和は神武天皇以来126代目の男子一系の皇統で繋がって来たのが我が国である。このような国は世界にはない。この続きはまた明日のブログで。