2022年7月16日土曜日

恩頼 みたまのふゆ

 「恩頼」と書いて「ミタマノフユ」と読む。普通なら絶対にこのようには読めない。我々の世界では「おんらい」と読めば合格だろうが、神職の世界では0点だ。どの辞典にも出ているが堀書店発行の「神道辞典」に拠ると、「みたまのふゆ」は「恩頼」と書き、日本書紀と古語拾遺に出ている「古語」で、「神の神秘な働きや恵み」のことを云う。恩頼の字を当てる代わりに、同じ書物で「神霊」「霊」「皇霊之威」「神祇の恩」などと書き、ミタマノフユと読ませる例もある。ミタマとは霊魂又は生命力で、フユとは振るう(威力の発動)こと、増殖増大することと考えられる。即ちミタマノフユとは、神の加護や神に源を発する生命力の信仰に立って、勤労の成果が上がり物事が進展成就することが「単に自分だけの力によるものでない」ことを意識している言葉である。「ふゆ」は「振ふゆ」または「殖ふゆ」の意で、神または天皇を敬って、その威力・恩恵・加護をいう語と理解すると分かり易い。 


神道の言葉はこのように難しい。私は仕事柄、多くの神事の場面に身を置くことがあるが「祝詞」の中に良く出て来る言葉で、最初はみたまのふゆを「御魂の冬」だと思っていたら全くの間違いで調べてみると、漢字では「恩頼」と書くと学んだ。何故「恩頼」が「みたまのふゆ」なのかは詮索しても意味はない。日本書紀の時代からある言葉なのであるから。みたまは御魂、ふゆは震えることや揺れることを意味すると学んだのである。とにかく、この言葉は古代の日本人が日常において、いつも「神様や誰かからの恩恵を受けては、魂や心を震わせてきた」ことを現している。「神様の力や霊威にふれることによって自分たちもその力に恩恵を受ける」という意味となり、その時に私たちの御霊は、殖えるのだと完全に理解した。ミタマノフユ恩頼があって、初めて私たちは本当の幸福を感じることが出来るのである。 

新校舎NS館と新中学校棟の建設に踏み切った私は間違いなく「みたまのふゆ」を感じている。そして鮮烈に今でも覚えているのだが、生徒の為の校外学習合宿施設を「渇望」していた私が、今から15年前に廃校となった旧千早赤阪村村立の多聞小学校を見た時に初めて身体が震えた、すなわち私の御霊が震えたのである。私は一気呵成にこの小学校を買収し、数度となく改修を加え、現在の校外宿泊学習施設である「多聞尚学館」を建設した。以来、私は「みたまのふゆ」を感じている。神様のお力とご加護はその後も「ふくろうスタジアム」の土地の買収の時も美原区の「高天原スポーツキャンパス」土地購入の時も感じている。そして今着工したNS館と浪速中学校新校舎建設も背中をみたまのふゆが押して頂いたと思っている。恩頼を得て今日の浪速学院があるのだ。

 


今日は「令和5年度第二回浪速中学校入試説明会とクラブ体験会」が午後あった。昨年に比べ大幅な参加者を得ており、創立100年を寿ぐように「みたまのふゆ」を感じている。この日私は道頓堀の串カツだるまの本店舗で屋上に卒業生である上山会長の依頼で「だるま神社」創建の神事があって現地に赴き、先ほど学校に戻ってきた。本校ボクシング部先輩で最も親しい友人である俳優の赤井英和ご夫妻も来ておられた。ご斎行は本校理事役員の「座間神社」の宮司様の手でご斎行された。大阪を代表するミナミの繁華街である道頓堀に本社社屋を有するまでになった串カツだるまさんも神社を創建するとは偉い。又恩頼を感じておられることだろうと思う。私は「だるま神社」に「玉ぐし料」と千早赤阪村の農園で収穫した「すいか」一俵、焼き立てパン、「100周年記念バッジ」を神棚にお供えし上山会長と赤井さんにプレゼントしたのである。この年になってつくづく思うのはたった一人の人間の力ではなくて何事も神威やご加護があり、成就出来ていると思う。神は人間に謙虚であることを教えて下さっているのだ。謙虚であれば神様はお力を貸して下さる。