今日は中学入試、区分は「1次B入試」である。昨日の14日は近畿2府4県の私立中学が「統一試験日」を設け、本校では夕刻から「1次A入試」「1次A選抜入試」として一日に2回目の試験を実施した。合否判定会議などで私は帰宅したのが22時頃になっていた。それぞれの学校は昨夜中にWEBでの合否発表などを行っているから、受験生には連日となるが、今日のB入試は本校を不合格になり再トライ、あるいは望むコースへの格上げ合格を目指す者、他校を受けて残念な結果に終わり本校に狙いを定めて受験に来る者等、様々である。3連続試験は小学校6年生には少し「きつい!」と思う。痛々しく感じるが、傍に寄り添う保護者の気持ちも良く分かるだけに私は私立中学の今の受験状況について憂うるのだが、これが現実であり、これ以上の言葉は今はない。
平成19年の浪速改革以来、統計的に新記録となった受験者数を数え、私は満足している。「問題は実際の入学者数」であるが、こればかりは現段階では何とも言えない。本校もまだ明日の選抜、17日の2次入試、そして2月入試と続く。それでも開校100周年目の4月には昨年は超えるだろうことが見えて来た。新記録となるかどうかは分からないがそれも視野に入って来た。「4月に着工する新しい浪速中学校棟」への心意気もこれで上がった。学院神社大神様のお蔭であろうか。私は運が良い男だ。私は中学校校舎内を歩き、大改造した現在の教室も後2年で新校舎に移る。感無量だ。合否発表で歓喜した受験生と保護者は事務室前に並んで入学の手続きに入った。この光景を見るとほっと安堵し、今の仕事の面白さに喜びが身体中を駆け巡るのである。
中学校募集活動は制約もあって結構しんどい。元来保守的な教育界は簡単には認知して貰えない面がある。昨日のアラウンドでも書いたが平成12年から平成18年まで30人台の時代が7年も続いた。「どん底」の時に着任した私は中学校の状態に驚き慄いた。考えられる対策を打ちながら人的資源も投入した。校長は木村、竹島、宮、中村と4代に亘って改革を進め今になった。その歩みは平成19年、70人と反転攻勢に出てから107人、120人、121人となったが、この3年間は某大学との連携を考えた3年であったが失敗した。裏切られた思いは今でも心の奥底にあるが私の「焦り」であったと思う。今更過去を悔やんでも仕方がない。その後88人、67人と低迷したが「臥薪嘗胆」、平成27年から94人、95人、91人と徐々に回復した。