世間より1日遅れての「初出の日」となった。生徒は7日が3学期の始業式となる。何時もの事だがこの「仕事初めの日」になると次の俳句を思う。「去年今年 貫く棒の如きもの」。この高浜虚子の句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言い、感動した川端が書いた随筆によって、この句は一躍有名となった。去年と言い今年と言って人は時間に区切りをつける。しかしそれは棒で貫かれたように断とうと思っても断つことのできないものであると、時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句である。貫く棒は人によってそれぞれ異なるだろうが、「私にとっての棒は全て学校に係るもの」だ。本当に大好きな俳句である。
新春に思う句と言えば小林一茶の俳句も心にかかる。加齢と共に迫ってくる句である。「めでたさも中くらいなり おらが春」。お正月と言えば、世間の人は餅をつき、門松を立てて新しい年の希望に心がはずむ時期と考えられるが、一茶にとっては「そんなにめでたいものなのだろうか?」と感じた。年若い妻と幼い我が子を前に「あと何回、こうして年を迎えられるのだろうか・・・」と老い先短いわが身の心境からくるものかも知れない。苦しい人生を送ってきた自分にとって、新年だからといってめでたいと手放しで喜ぶことはできないけれど、「中くらい」だと一茶なりに祝おうとする姿が伺えるのが良い。一茶の生き方がしみじみと伝わる名句の一つだ。素晴らしい。
9時からは今日から始まった「高校入試の教育相談」のキックオフがあり、私は入試広報部の部員と関係する教職員に新年の挨拶と激励の言葉を申し述べた。今日からの2週間程度で今年春の入学者数が読めてくる。同時並行で進んでいる中学校の一次A入試の志願者のWEB出願数も「良い傾向」と今朝ほど教頭から報告を受けた。4月30日には創立100周年を迎える。言い換えれば4月の中高の入学者は大正12年4月30日の開校日から100年目の新入生となる。100年前は旧制ではあるが浪速中学校(現在の浪速高校)は204人の生徒で100年の時を刻んだ。そして今は中高合わせて2600人を擁する大規模な学校に育っている。「学校を創立してくれた先人に感謝の気持ち」しかない。果たして4月5日の入学式には何名の生徒が入学してくれるのだろうかと思う。
少し前の記事だが朝日新聞他は2022年の出生数が77万人台と政府の想定より11年も早く少子化が一層加速していると報じていた。日本の人口はますます減少していき、この数値から私は一私学の命運などよりも我が国の力の減衰を懸念するのだが、今から15年後彼らが進学する年には少ない受験生を取り合う対公立、私立間との激しい競争になっているだろう。しかしあれこれ先行きの事を心配しても意味は無く、私は今、「目の前のことを一生懸命にやる」ことの大切さを今日の最初の職員会議でも述べた。例年、最初の職員会議では「年頭の辞」として色々とお話しするのだが、毎年毎年違った話とは行かない。今年も年賀状の御礼、そして前述した俳句「去年今年 貫く 棒の如きもの」「めでたさも 中くらいなり おらが春」を引き合いに出し、最後は全員が心を一つにして100周年を通過点として今年も「元気で明るく仲良く」頑張って行こうと話を締めたのである。