2023年1月28日土曜日

序説:「浪速学院教育大学院教員養成研究科」論

 実に本校は具合よく行事を当て嵌めて全体の繋がりを考えてくれている。これは学校の中味が分かっていないと出来ない。そういう意味で本校には経験豊富な「専門家たるプロフェッショナル教師」が多く存在しているということである。これらの存在と数こそが学校を具体的に動かしており、学校の武器であり強みだ。耐寒行事が終わり、高校入試の出願があり、来週は高校の卒業式が来てその後は期末試験と学校の重要行事が続く。その合間を縫って今日28日の土曜日は「令和5年度採用予定教員の授業見学会」である。現時点で採用の決まっている教員は19人であり、この人達に4月1日の着任前に「就職先」の状況を見て貰い、着任日から職業欄の名称は教員でも教師でも何でも良いが、早期に「プロの教師」となって欲しい。そのような思いから本校ではこのような企画を何年も続けている。他校では余り見かけない光景ではないか。

社会では「教員の質の低下」がかまびすしく話題に乗っており、競争倍率が低いとか教員の不祥事とか時に記事になったりするが現在のところ、本校では無縁の話である。全国で 100万人いる教師がどういう環境の中で、どのような展望を抱きながら就職先を選び、仕事に従事しているか、それを知る人はそれほど多くはない。大方の国民は、自分が関わったごくわずかな教師から、「教師についてのイメージ」を作りあげているが、それは時にして現実から隔たっていることがよくある。私は20年間教育の現場に身を置いてきてそのことが良く分かった。当初は「思い知らされた」感じから、それが「なるほど」への確信に変わり、然らば「どうする」へと変わっていった。民間企業で30年間、教育現場で20年間生きて来た身の「幸運さ」は私に「学校現場の実態が、本質が」良く見えて来たと言える。ここが見えて来ないと学校改革や教員改革などの「的」に的中は出来ない。 


世界水準に比べて日本の教師の学歴水準はどうかと言う命題であるが、正直に言うが、一般論として現在の日本は世界標準の最低レベルに近い。前述したように近年の教員の大量退職とともに、都市部では教員の大量採用が始まり、「教師の質の低下」が起こっているという警告であるが私はそれほどの切実さを感じていない。嘆きだけで学校は変らない。戦後、日本の教師がその質の高さを誇ってきたのは、次の 3つである。第一が高い教育水準、第二は高い給与と高い競争率、「第三が校内研修を基礎とする専門家文化の伝統」だった。特に私は3番目を重要視している。ところがこの 3つの特色が過去数十年の間に急速に低下し、特に劣化し始めていると警告する人は多い。今の教師はほぼ100%、大学卒ではあるが、それが途上国並みとはどういうことなのか、といぶかる国民は決して少なくないだろう。 

日本でも世界でも所謂「大卒」は当たり前の事になってきている。石を投げれば大卒に当たる、そのような高学歴社会の中にあって、日本の国民の多くが気付いていないが、多くの国で「教員の養成を大学院レベル」に引き上げてきたからである。なぜ世界では教員養成が大学院レベルに引き上げられたのか。その理由は、日本以外の国では、教師とは「誰でもできる仕事」では到底なく、むしろ「誰にでもできない仕事」であるという事実を正面から認識したからだ思う。紙面の関係から今日は「序説」として、これまでにとどめるが要は本校では常勤講師の最大3年間で「大学院並みの学びと研究、それと実地体験」をして貰いたいのである。大学の偏差値は問わず、大卒の免状と教員免許を持ってきた人は常勤講師として採用するが、それだけで先生と呼ばれても本当のプロ教師とは言えない。言い換えれば「浪速学院大学院研究科」において、単位を取得した常勤講師の先生を本校は「プロの専任教諭として採用」するのである。「本校の教育の現場こそ最高の教育大学院」だと思って「謙虚に努力する講師の先生方」に期待したいと思う。