1月14日1次A入試、同日夕刻1次A選抜、翌15日1次B入試、翌16日1次B選抜、そして「本日17日、2次入試」と続いた。4連続であるから些か疲労感はあるものの中学校及び入試広報部の人々は皆さん、元気で声が明るく弾んでいる。これが嬉しいし私も同様に嬉しい。仕事をやってきて1年の成果が具体的な数値で現れるこの時期は尚更である。今日の2次入試で浪速中学校の令和5年度4月以降の、創立100周年と言う節目の年の入学者が「多分、恐らく、間違いなく、過去新記録」となるだろうと初めてこのアラウンドに書ける喜びは一入である。高校の教育相談は今も続いており、中学、高校共に期待数値にあるという現象は何よりのことである。これが全く逆で数値が期待値以下だとすれば、理事長の私は元より本校の教職員の声のトーンと両肩が少し落ちているだろう。全ては神様の「ご神慮」と思って「ご神恩に感謝」している。
この時期の学院長はとても忙しくて14,15日とあった「大学入学共通テスト」の状況の報告で高校の進路指導部長が来てくれた。本校の進路指導部長、中々良く出来る男で色白で何より男前だ。この先生の結婚式にも主賓として参列したことが懐かしい。本校の指定会場は大阪公立大学であったが、分かり易く言えば旧大阪市立大学と旧大阪府立大学である。我々は旧市大、旧府大と呼んでいるが女生徒は旧府大、男子生徒は旧市大が指定された。何故だか知らないが、トイレの配置の関係らしい。卒業総数に対する受験生比率は昨年よりも3%高くなっており、進路指導部の教員が激励と不測の事態を考え、各会場に出向き、生徒の激励をした。昔の様相が少し復活した感じだ。トラブルなく指定された会場で無事に終わり、自己採点を済ませてデータは指定された機関に手渡されその分析結果から生徒達は具体的な2次試験の対応を取ることになる。
現在の「大学入学共通テスト」は形と中身を変えて3年目になるが、その変遷の歴史は古い。大学入試の公平性を高めるための共通試験の構想は1960年代から既にあり、私の時代は「国立大学一期校と国立大学二期校」に区分され、これは1949年から1978年まで実施された。試期日が1期校は3月上旬、2期校は3月下旬と異なっており、当時は各大学毎に作成された入試問題であった。しかしこの1期校、2期校の区分から大学間格差を生まれ、その是正の為に1979年に「大学共通1次学力試験」となった。それが1990年(平成2年)からの「大学入学者選抜大学入試センター試験」に変わって、センター試験の自己採点を元に国公立大に出願するという現在の大学受験制度がほぼ確立された。これが又3年前に変わったのである。この辺の経緯は又別途のアラウンドで触れる積りであるが何か「試行錯誤」の状況であり、「昔に回帰」している感じがするのは私だけであろうか?