懸案だった100周年記念碑「祈願」の土台の色が昨日最終的に決まった。当初は「黒御影」一色の土台であり、何か「黒光り」し過ぎて、神社前に設置する碑としては「目立ちすぎ」のような気がした私は前回の現地調査で「ノー」と言い、黒面に「ショットブラスト」をして黒を灰色になるようにお願いした。その作業が昨日終わったというので気になっていた私は河内長野市の「石駒」さんに又出向いて自分の目で確認した。まだ試験と言う事で側面1面だけだったが一目見て「これは良い!」とその場で「オッケー」を出した。品の良い灰色となり上下部分の台が黒なのでコントラストも良く、丁度正門の柱と同じ意匠に近くなり、ここでもまた偶然性に驚いた。来週半ばには出雲市から萩焼の「祈願の陶芸作品」が持ち込まれ、設置されることになる。素晴らしいものになると確信した。
その脚で千早赤阪村の多聞イチゴ園に走り、中学一年生の多聞見学の様子を見た後、学校にトンボ帰りして、4月30日奉祝祭、式典、祝賀会において使用する「ビデオ映像」の試写会に臨んだ。高校校長と二人の教頭が最初から取り組んできてくれたもので「どんなものになっているのか」、期待と不安があったが、結果は十分私を満足させる「出来栄え」であった。これが全く私のイメージに遠い物だったら、勿論やり直して貰うのだがそれは杞憂に終わり、安堵した。やはり長い付き合いで今まで苦楽を共にしてきた管理職は理事長を理解しており、「頼りがい」があると思った。今回の祝典全ては基本的に「映像と音楽」で100年を表現するものでこのような企画は恐らく初めてだと思う。それだけに立派な、分かって頂く芸術作品に近い動画を用意しなければならない。
昨日はまだ初日で第二弾がある。又これらの映像をどのように進めて行くのか、MCが極めて重要であり、今回はプロのアナウンサーをつかわず、自前の総合司会者を充てる。その担当は私が共学校になって校長として入学を許可し、卒業を許可した女性である。在学中から優秀で立派な大学を卒業し東京のIT企業勤務を経験し、私が母校に呼び戻した経緯がある。当初は専門を活かして事務職員、情報企画部勤務として頑張って貰っていたが、この度情報科の教員免許を取得して貰い、4月からは教員として育てて行く積りである。さぞかし立派な教員になってくれることを期待している。高校時代は放送部に属し何回も大阪代表で東京の全国大会で優秀な成績を取った「頭良し、声良し」の近代的な女性である。彼女の登場だけで汗臭い男子校の本校が今や共学校私学の雄になったと皆さまにご理解頂ける筈だ。従って今回の4月30日の式典で言葉を発するのは理事長の私とMCの彼女だけである。果たしてどうなるか、我ながら大いに興味関心がある。
高校1年生の多聞尚学館オリエンテーションの第二班が8時50分に出発した。今日は黄砂が酷いと言う情報があったが、気にしていては何も出来ない。私は元気よく生徒を送りだしたのである。4月30日が粛々と近づいているが、何か私の気持ちは落ち着いている。100周年誌も印刷に入った、祈願の碑もほぼ見えて来た。浪速中学校建設宣言の舞台設定も抜かりなく進んでいる。後2週間強でその日がやってくる。