4月30日の開校100周年奉祝祭行事の日まで遂に2週間後に迫って来た。最後の追い込みをかけて教職員や協力会社さんが頑張ってくれている。心配性の私自身と言えば、当然であるが最後の最後まで細部に目を凝らし、口を出し、チェックをする。私の生き方や辞書には「全て任せる、アッハハ!」という範囲は少ない。皆で協力して、ここ「16年間の浪速改革の成果を」正しく内外のお客様にご覧頂きたい、とのただ一心である。別に今更、この年で「ええかっこ」したいとはつゆつゆ思っていない。「4月30日は節目、けじめ」であり、これをやりきれば過去は振り向いてはいけない。今日から100周年祈願碑の工事が始まった。何と設置場所の下から祭事に掲げる御旗や幟の土台孔が出て来た。これにより当初の場所か右側に少しい移動することを関係者と決めた。このように何事も頭の中だけでは勝負はつかず、その都度その都度新しい事態の出現に対して判断して決めなければならないことがある。これがトップの責任である。
その後引き続いて、伊勢の神宮崇敬会のK理事長とW事務局長をお迎えした。丁度玄関ロビーに神楽部の生徒がいる所で彼女たちも歓迎の意を示してくれた。「挨拶が出来る」、こういうところが本校生徒の良い点である。ご来校の目的は「神宮崇敬会からの100周年記念品の受領」である。これは間違いなく本校の「宝物」となるだろう。「織額 花鳥御鏡錦」と言う。私は感激と感動に身体が震えた。これについては別途詳述したい。実質的には神宮様と崇敬会の両方のお気持ちである。K理事長は神宮の少宮司という重責を担われているお方で大変お忙しい中でのご来校下さり、自ら私に手渡されたのは極めて恐縮する事であった。M常務理事と筆頭理事のM先生の同席の下、暫しの歓談で時を過ごした。誠に有難い事であった。私は先の90周年時に頂いた絵画と鳥居、神宮ギャラリー、大祓詞額他をくまなくご案内申し上げた。お土産には多聞イチゴ園の大玉イチゴを用意させて頂いたのだが、大層お喜びでこれには格別に嬉しかった。
前述したM筆頭理事は今日、寄付金100万円を他より預かって持参してくれた。ご本人の寄付金は既に頂いているが今回は友人の方からであり、そのお孫さんが本校の卒業生であった。本当に「孫は目に入れても痛くない」というのか、男子のお孫さんが可愛くてならないご様子で今や直接的な関係はないのだが、このようにして大学を卒業し、立派に育った「孫が今日有るのは浪速のお陰、だから100万円寄付」と言ってくださるのである。嬉しい限りであり教育と言う営為に従事する人間にとってまさしく幸せの一瞬である。招待状を早速ご送付申しあげた。
今日は色々と良い日であった。