この歳になると色々な会社さんとお付き合いをさせて頂いて来たが、これほど「長い歴史」を有する会社は石川県白山市の「浅野太鼓」さんだけだ。何と創業は慶長14年(1609)と言うから驚く。慶長時代は1596年から1615年までの期間を指し、日本史の時代区分では安土桃山時代と江戸時代を跨いでいる400年以上も前の話だ。秀吉が亡くなったのは1605年で大阪夏の陣、冬の陣はこれから10年後である。初代の播磨屋左衛門五郎・治郎が加賀藩前田家の招きによリ播磨国高木村から金沢の浅野村に移住し、浅野太鼓の前身である皮革製造業を創業したのが始まりと言う。この浅野太鼓さんからは90周年時に「鼉太鼓」を納入して貰い、今回100周年で「3尺大太鼓」となったのである。鼉太鼓と大太鼓を良く見える場所に並んで置く。「一見の価値あり」だと思う。
この大太鼓も鼉太鼓と同じく「開校100周年を祝ってPTAより寄贈」をされたもので、大きいだけにお値段も相当高い。力のあるキップの良いPTAを有して我々は幸せである。発注時に私は今の太鼓よりも大きいものをと社長さんに言ったのだが持って来た案は2尺5寸であった。これでは「代り映えしない」と、その場で駄目を出し結局3尺太鼓となった。「こんな大きな太鼓は学校にはありません」と言っていたが「大きいことは良いこと」だと信じる私は拘った。しかし現物を前にするとその「大きさと威容に圧倒」された。更に、太鼓を載せる台座に拘り、富山県、天下に名の轟く井波彫刻の第一人者である伝統工芸士の畠山実先生に「上り龍 下り龍」の彫刻を施して貰った「逸品」となったのである。これで又本校の宝物が一つ増えた。PTAの皆様、有難うございました。私は思わず「高笑い」となった。余程嬉しかったのだろう。
100周年行事の第三部は狭いながらも中央館6階の「天空レストラン」でシェラトン都ホテルから出張サービスでの「ノンアルコール祝賀会」である。会場の狭さから150人弱が一杯一杯でラウンドテーブルに6人で25テーブル用意した。それ以外のお客様はこれまたシェラトン都ホテル謹製の「お祝い弁当」をお持ち帰り頂く手筈となっている。海外を含む遠方からのお客様、府内有力なお付き合いただいている私立学校の理事長、校長先生、制服や卒業アルバム、修学旅行などで共に仕事をしているファミリー企業の方々、又校舎建設に当たってくれているゼネコンの方等々、本校OB、PTA役員の方々のお席を決めるのがまさに苦吟であったが漸く案も出来た。この日の本校教職員は「おもてなし」にいそしみ、慶事用の箱弁当を食し、別途私は5月11日にスイスホテル大阪南海で大々的な内輪の大パーティを行って教職員を労う積りである。
この祝賀会でおもてなしする出し物はまず「映像と音響」で浪速の今を生徒が伝える内容である。古めかしい映像から今に生きる生徒達が躍動感あふれるダンスをしながら今の浪速を表する内容でこれは視聴したが素晴らしいものであった。生きるために食するが、共に同じ釜の飯を食らうことほど「絆を強める」ことは無いと言う。その祝賀会の席でサプライズとして二人の専任教諭が電子オルガンを弾き「神社神道の学校として宗教性の香り」を少しでも醸し出したいと言う。
一人は音楽のW先生で、もう一人は社会科のM先生である。パイプオルガンの音色を追い求めたこの楽器はまさにそっくりで、昭和30年代から60年代にかけて故黒田一郎氏が発明した「クロダトーン」と言われる電子オルガンである。音楽家の道を歩いていた、私の妻が引退を機に学校にグランドピアノのコンサート用のC7とこのオルガンを寄贈してくれた。グランドピアノは中学校の音楽教室にある。天空レストランに置かれた、この極めて希少価値の高い電子オルガンで演奏する曲名は最初に「ベートーベンの歓喜の歌」次いで「久石譲の風の通り道」、そして「バッハの平均律クラビーヤ曲集第一番前奏曲とフーガ」とし最後は「エルガーの威風堂々」で締めることにした。又オルガンの位置も端から正面舞台に近い所に移動する。本日私は彼らの練習風景を見に行き、感じる処があって、このように決めた。