「一転俄かに掻き曇り・・・」という言葉があるが「一転俄かに晴れ間が現れ・・・」に置き換えたいと思う。2週間まえくらいから、毎日毎日、予報を見ながら、今日の天気を心配していた。朝、通勤途中では車のフロントガラスに小雨がついていたが、式典の始まる30分前まで私は待ち、「これなら行ける」と判断して設置していたテントを撤去するように指示を出した。フード付きのビニール製の雨合羽を各席に用意しているから「いざと言う時」はこれでしのぐと決めた。それがどうだろうか。9時から10時半までの式典では青空に微かな秋雲が流れ、風も無く、素晴らしい式典になった。過去の事例が多くあるから、人は私の事を「晴れ男」と言うが、間違いなく神様のご加護である。
今日、10月23日は忘れられない日となった。長い人生で多くの幸せを頂いて来たが今日も又その歴史に上書きできる出来事が積み重なった。「建設中の新中学校棟の上棟祭」が無事にその日を迎え、今完璧に終わった。ご来賓の方も学校を後にされ、私は執務室でゆっくりと余韻を楽しんでいる。地上6階建ての鉄筋コンクリート作りの建物の上棟の儀をどのように運ぶか?関係者と議論を重ねて来たが、やはり私の思うやり方で良かったと思う。他の建築物はどのようにされるのか?あるいはされないのか?知らないが神社神道の学校として校舎の上棟祭の執行の一つのパターンが本日完成したのではないかと思う。「浪速モデル」とでも呼んで欲しいものだ。
ポイントとなる「曳綱の儀」は昨日、習礼とは全く異なるやり方を皆の知恵を絞って考えだし、今日初めてトライしたが見事に出来たと思う。中学の生徒全員とご来賓合わせて総勢500人近い人々と背の高いジブクレーンによって持ち上げられた「棟木」と「幇串」は青空に高々と浮かび、4本の曳綱で「エーイ、エーイ、エーーイ」の掛け声と共に徐々に持ち上げられ、6階屋上の所定の場所に設置された。純白の曳綱が風に乗って靡く様を見ると、「私はやった!」「遂にここまで来た!」との思いが込み上げて来た。100年前、旧制浪速中学校は校舎が間にあわず、1年遅れて旧の梅田高等女学校の校舎を移設して学校は開校された。中学校が100年の歴史で初めて持つ自前の校舎の躯体が完成した。今後は内外装の工事が始まり、来年3月末までに全てが竣工する。
式典が全て終了し、「典儀」という職位の司会進行役から「祭主」としての理事長が「挨拶と万歳三唱」を求められた。私はこの新校舎の持つ意味を生徒に詳しく語り、今日まで様々な形でご支援下さったご来賓の皆様に心からの感謝の言葉を申し述べた。これは「一つの教育活動」であり生徒に教えてこそ意味はある。私は挨拶の原稿などは全く用意していなく、頭にある思いが「すらすら」とよどみなく口に出て来る。事前に原稿など用意したことはない。「挨拶とは触れ合う事」であり、考えを述べるのではなくて、思いを伝えるのである。今日は100年前に本校を創って下さった先達に対して私は思いを届けたいと強く思い、それが叶った。空はまだ晴れているし、少し暑い。