2024年10月1日火曜日

10月朔日、一斉参拝と理事長・学院長講話

 今日は10月1日、最近では余り使われていないが「10月朔日」とも言う。「朔日」は月の一番初めの日のことを指し、今でも1日のことを「ついたち」「さくじつ」と読む。これは月の始まりを表す「月立ち(つきたち、つきだち)」が次第に変化していき、「ついたち」となったのが由来と言われている。神道の世界ではこの朔日を大切にしており、全国の神社では1日には「朔日祭」と言って祭事を行っている。本校でも1日は大切に扱っており、今年1月から10月までで1日に一斉参拝となった月は2.3.6.7.10月と5回あった。学校行事や休日の関係で順延し、大体2日とかに実施しているが、やはり朔日1日の一斉参拝は何か厳粛に感じる。 



参拝の後の「理事長・学院長講話」では冒頭まず「衣替え」の話から入って行った。高温多湿の日本では文化として、暑くなる前の6月、寒くなる前の10月に来ている洋服を変える文化であるが、地球温暖化で今朝も涼しいとは言えない気温で又気温も上下するため、移行期間を2週間程度設けると話した。これが冒頭の「つかみ」の部分である。次に私は「授業への尊厳」について強調した。特に中学校生徒に対して授業始めや授業中の「悪ふざけ」などは真面目に授業を受けようとしている生徒に多大な迷惑をかけていると諭し、義務教育にも関わらず私立中学へ通わせてくれている保護者が負担して下さっている授業料へ申し訳が立たないと述べた。 


9月からスタートした「土曜日の3SSaturday Something Special)」の展開の為に50分授業から45分授業に移行しており、この5分の意味を生徒も教員も考えて欲しいと強調した。これは生徒と教員とのコラボレーション、理解と協力が必要であると言い、教員は「事前の教材研究用意」「ベル着」を、生徒は「静粛な授業を受ける心構え」が重要だと強調したのである。これは単に中学生だけではなくて高校生にも当てはまると述べた。



 次に私は兼好法師が鎌倉時代末期に書いた随筆である「徒然草(つれづれぐさ)」に話を転換し、高校古典の教科書にも出てくる「人の亡きあとばかり悲しきはなし」について概要を生徒に伝えた。読んで字の如し、「人が死んだ後ほど悲しいものはない」という意味であり、神道の死生観について触れ、とにかくまだ学び過程にある生徒はルールを守り「今を一生懸命に生きる」という気持ちが大切だと説いた。前述した「授業の尊厳を守る」というのもそのような意味であると声を大きくして諭した。そして話の最後に「逆縁」の言葉を出し、この意味は「子どもが親より早く亡くなる」という事だと教え、これは悲劇以外の何物でもなく、自分の命を守り長生きするのはご両親に対する最大の親孝行だと述べて10月朔日の理事長・学院長講話を終えた。