2025年1月6日月曜日

「貫く棒」

 「去年今年 貫く棒の如きもの」、この句は、昭和25(1950)歳末に子規の弟子である高浜虚子が76歳の時に詠んだ句である。虚子が居住していた鎌倉の駅に掲出されており、それをみた文豪川端康成が衝撃を受けた話は有名である。私の大好きな句であり何時もお正月、特に「仕事始め」の日にはこの句を頭に反芻させ、胸に去来する感情を味わっている。明治生まれの高浜虚子が日本という国の仕組み、人々の生活、文化の在り方が大きな転換を迎えている明治という「坂の上の雲」の時代にこの句を生み出した。日清日露の二度の大戦を経て、日本が民主主義国家へと生まれ変わる様、激動の時代を生き抜いた人物だから出来た句かも知れないが、現代も激動の時代であり、ある面、明治時代よりも複雑で大激動の時代だと私は思う故、この句は今も生きている。

 去年は1月5日、今年は本日1月6日に学校は動き始めた。この日、私は「業務の記録」というノートを更新する。もう20冊にもなった。これを見ると何時、何があり、誰に会い、何を話したかなど全てを知ることが出来る。真新しいノートの最初は1月6日仕事始めとタイトルをつけ、メモって行く。このようにして私は徐々にエンジンを吹かしていく。去年と言い今年と言って人は時間に区切りをつける。しかしそれは棒で貫かれたように断とうと思っても断つことのできないものであり、時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句に強く惹かれる私にも「貫く棒」はある。この学校を守り、発展させるという強い覚悟である。 

7時45分、拡大管理職会議を持ち、相当突っ込んで未来を語った。8時45分、今日から始まった「高校入試の教育相談」のキックオフミーティングに参加した。私は入試広報部の部員と関係する教職員に新年の挨拶と激励の言葉を申し述べた。今日からの2週間程度で中学、高校の今春の入学者数が読めてくるが、既に活動期間は昨年末で終了しており、待つのは結果の数値だけである。もはや「じたばた」しても仕方がない局面であり、人事を尽くしたからには天命を待つのみだけだが、そうはいっても、果たして4月5日の入学式には中高合わせて何名の生徒が入学してくれるのだろうかという期待と不安が常に私の片隅にあるのは、慢性の職業病かも知れない。 




9時30分新年最初の職員会議があり、その席で例年の事だが「理事長・学院長年頭所感」を申し述べた。そして今日のハイライトは新しく作成した「お賽銭箱」が入荷したことだ。今の物は制作年代も不明の古びたものだったので、この際、学院神社の神様への尊崇の為にも新中学校棟竣工の前にと考え、踏み切った。神社仏閣建築で有名な松原工務店さんの手になる賽銭箱は現松原社長のご長男でエンジニアの将来の社長さんが設計から制作まで全てに亘って対応してくれた。彼は私が入学を許可し、卒業させ、更に建築科のある大学への進路相談に乗った男である。今日は雨なので8日の新春拝賀始業式の日に使用開始とする。 



今日からまた私は動く。「貫く棒」の如く今年も頑張って参りたい。