「後悔などあろうはずがない」。イチローの引退の弁だ。普通の人間には言えない言葉である。遂にイチロー選手が故国日本の地で引退を発表した。今朝の新聞は各社とも一面で扱っている。中でも朝日と毎日は一面トップだ。トップ記事とは一面の中でも右端上部が一面トップ記事として[特別に値する記事]と言える。面白いのは朝日と毎日がトップ記事だ。時に反権威、反体制、反日、左翼的とも見える両新聞社がトップに持って来ているのに苦笑した。私は両社の思いが良く理解出来る。
確かにイチロー選手は時に日本社会の普通の一般の人々からすれば、普通でないと見えるだけに理解しにくい言動が誤解を与えたりしたが、徐々に前人未到の球歴と発する言葉の意味を理解するようになって徐々に違和感なども消えていき、崇拝、尊敬の対象になっていったと思うのは私だけであろうか。私はイチローこそ「孤高の武士道を行く」、自己を鍛錬し、厳しく律する人間みたいな気がする。とにかく「天才とは努力の上に立つもの」だとイチローは全世界に示した。アメリカの新聞は「イチローは神話」までと言い切っている。人間ドラマでベタベタしない、ドライな国、アメリカはイチローを分かっていた。
テレビでの記者会見でイチローは「絶対にプロの監督にはならない。僕は人望が無いですからね」とまで言っていた。この人望と言う言葉が味噌だ。日本社会、日本プロ野球界での文化と折り合えないと言っていると私は理解した。そして彼は出来れば「小学生、中学生、高校生などの野球に係わるのも・・・」と発言していたことに私は注目した。結局自分の事を直視し、自分の事を最も分かっているのである。
世の中には自分の事を全く知らない、知ろうともしない人間が多いし、自分は悪くなく、出来ないのは他が悪いと主張し、自分は努力をしたのにと錯覚している人間が余りにも多いだけに私はこれらの言葉の中に人間鈴木一郎の真骨頂を見た気がした。
今日は年度末の職員会議であったが教職員の顔ぶれを見ながら学校は天才は要らないが、ただただ「努力をする教師」を育てて行きたいと思うのであった。
今日は年度末の職員会議であったが教職員の顔ぶれを見ながら学校は天才は要らないが、ただただ「努力をする教師」を育てて行きたいと思うのであった。