過日、府内の某大学の幹部の先生が学校に見えられた。お話は学内にICT社会教育センターを設立されて、その記念シンポジウムが3月18日にあるというのでわざわざ参加依頼に来られたものであった。プログラムを見ると「高等学校新学習指導要領における情報科目について」は文科省から特別講演があり、大学の教官からは「プログラミング教育について」がテーマとなっていた。
お越しにならなくともこのような時機を得たシンポには必ず教員を場合によっては複数の教諭を派遣している。我々にとってもこれらのテーマは極めて大きく、重要である。私は直ぐに「4月から情報科の主任教諭となるK教諭を参加」させることを決めた。このK先生、私の評価が「うなぎ上り」に高い。まずお人柄が素晴らしい。謙虚である。
K先生、口数こそ少ないが「まっとうな考えをする」。雰囲気が幾分古風である。昔風と言っても良い。「男でも女でもちょっとだけ古風な方が人としての色気を感じる」は亡くなった樹木希林さんの「一切なりゆき」という本に出てくる言葉である。ここでいう色気とは「人間としての魅力」と考えれば良い。教師としての目標を失っていない、昔風のバンカラな、出しゃばらないお人柄だ。
本校勤務期間は累計5年で29年に専任教諭に採用した。「数学と情報の二つの免許」を持っている。専任教諭の経験はまだ2年である。その時に彼が言った言葉を今でも覚えているのだが、「私の卒業した大学で良いのでしょうか?」。国公立大学ではないし、いわゆる関西私学で難関と言われている「関関同立」でもないのだが、それを気にしていたのだろうか。
「東大、京大卒だから良い先生になるとは限らないよ」と私は激励したのだが、想定通り、「良い先生」に育ってくれている。このような事が有った。ある保護者が「このような素晴らしい先生を採用した理事長先生に感謝します」まで言ってくれたことがある。その親御さんの子どもは数学が不得手であったがK先生、じっくりとその生徒に向き合い、数学の出来る生徒に育て上げ、何と理系のクラスに変わることが出来たのだった。その生徒と保護者の喜ぶお顔を今でも思い出す。
先般、私の部屋に来て「情報教育」の議論をしたのだが本校には二つも情報教室を有していることを戦術として、更に情報教育の質を高める方策について検討を進める事で一致した。この先生からは「教師と言う仕事を愛している。この浪速という学校を愛している、生徒を愛している」という感じが静かな佇まいだが、発する一言、一言から「ビンビン」と伝わってくるのだ。ここが素晴らしい。教員と言うのは千差万別であることは仕方のない事であり「違いがあって良い」。全ての教員が同じタイプと言うのは逆に気持ちが悪いし、生徒の為にも良くない。
教師にとってただ絶対的な必要十分条件は「この学校を愛し、本校の生徒を愛しているか」だと私は信じている。何か敵地で仕事をしているような、常に学校や周辺に敵対的な姿勢を有し、生徒などはただ口で教える対象としか見ず、偏執的で、間を入れず、すぐ怒り、がみがみ言う。こういう態度は間違いなく生徒を潰す。若しこのような面が表れたら私は即刻その教員を排除する積りだ。生徒は私立学校にとって宝物と考えねばならない。学校を守る義務が私にはある。「貴方は生徒を愛していますか?」、教員へのキーワードだ。