昨日の14日の日曜日、ふくろうスタジアムでの公式戦第一回戦での勝利に気を良くした私はその足で千早赤阪村の多聞尚学館に車を走らせた。そこでは浪速中学校の3年生と2年生の2クラスが学習合宿をしているからである。多聞尚学館は今から10年前に開館した思い出の場所であり、大好きな施設である。ここを有しているメリットと喜びは計り知れない。それにしても「中学生は可愛い」。真剣な目をして私の話を聞いてくれる。邪気のない言動は癒される。中学生は内部生として今後とも大切に教育していかねばならない。とにかく中学生を増やすことは浪速学院の不滅の命題である。
たなつもの百(もも)の木草(きぐさ)もあまてらす
日(ひ)の大神(おおかみ)のめぐみ得えてこそ
朝よひに物(もの)くふごとに豊受(とようけ)の
神のめぐみを思へ世の人
この二首は本居宣長作の食物への感謝の歌で、以前の日本陣は食前食後に唱えたものだそうだが、今では見ることはない。今は神道の世界でしか唱えられていない。本校では中央館の6階のレストランでは「箸入れ」にまでこれらを書いているくらい重要視している。これらは「玉鉾百首」という「道」に関した本居宣長の歌集に載っている歌で、この「道」とは、古道すなわち、日本古来からの「当たり前とされている考え」をさしている。日本人が生活のなかで当たり前に振る舞うことが宣長の考える道で、日本人としてどのようにあるべきかをよく表した歌である。
明治時代には教材として使われていたそうえ、本校の生徒には今でも必ず神道科の授業や節目の行事の時には教えている。「たなつもの」とは、棚に盛った食物とか、田根(種)つ物、すなわち五穀を指すもので、百の木草は色々な生き物を指す。これらのものは、太陽の恵みがないと成長できないから、日の大御神こと天照大御神は、日本の古代からのありがたさの表れだと考える事が出来る。
また「豊受の神」とは食事を司る神で、伊勢にお鎮まりになった天照大御神(内宮)の食事の神として迎えられて後鎮座された下宮のご祭神である。「うけ」「うか」とは、食物を指した言葉で、生活が大地に根付き太陽の恵みを仰ぐことから深い信仰が始まったと考えられている。神話から続く世が続く唯一の国、日本で、食事前の「いただきます」と食後の「ごちそうさま」が自然への感謝の言葉としてあるのは当たり前のことである。