2019年11月14日木曜日

11月14日:リトアニアに移動



今日は車、ボルボの国、スウェーデンを離れてバルト国の一つであるリトアニアに移動である。初めて入国する国だ。朝6時にはホテルを出た。バルト国とは北の方からエストニア、ラトヴィア、リトアニアを言う。旧ソ連圏で東はロシア、南にポーランド、西にバルト海に囲まれており、地理的歴史的背景からロシアとヨーロッパが融合したような文化と言われており、それを感じたかったから今年は此処を選択した。言ってみればまだ見ぬヨーロッパの体験である。






フィンランドもそうだしスウェーデンもこのリトアニアも同じ様にバルト海に面している。見る時間があるかどうか分からないが、このバルト海の海面を是非ともこの目で見てみたいと思う。ロシア西部の第二の都市であるサンクトペテルブルグはプーチン大統領の故郷であるが、この町もバルト海に面している。このかっての首都はレニングラード州にある。高校生時代に世界史で習った。

バルチック艦隊という日本人なら忘れてはならない言葉がある。ロシア人は完全に忘れたいと思っているだろうが。1900年代日露戦争でサンクトペテルブルクを出発したロシアのバルチック艦隊は日本海海戦で我が国の海軍から撃滅させられた。明治維新後近代化したとはいえ、世界の小国日本が無敵の大国ロシア艦隊を完膚無きまでに叩きのめした世界史を揺るがす大事件だった。「坂の上の雲」の時代だ。

しかしこの戦争の勝利が近代日本の力にはなったが、結局軍の強い軍国化して行ったのは間違いない。その結果先の大戦で敗れ、我が国は旧ソ連から北方領土を奪われた。「成功体験に囚われると必ず次は失敗する。」典型的事例だ。話を元に戻そう。今日のメインは「東洋のシンドラー」と言われたリトアニア北部にある「杉原千畝記念館」を訪問することだ。ナチ迫害のユダヤ人を「命のビザ」を発給し、多くの人々を助けた、ある素晴らしい日本人の足跡を私は辿った。

リトアニアは人口250万人の小さな国だがしっかりとした感じの国である。首都はビルニュス、空港は雨に濡れた小さな空港だった。迎えの車に飛び乗り、約100キロ離れた第二の都市であるカウナスに向かった。時間はストックホルムより1時間進んでいる。私は腕時計を1時間進めたのである。時刻は11時30分過ぎであった。