2019年11月14日木曜日

11月14日:「杉原千畝記念館」

まだ日本からの観光地としてはあまり知られていないリトアニアである。しかし日本とこの国は大きな繋がりがある。第二次世界対戦中、ナチスドイツから激しい迫害を受けたユダヤ人は亡命の為リトアニアの旧日本領事館へビザを求めて殺到した。当時の日本領事杉原千畝はドイツとの関係を重視した本国からの命令を無視してビザを発給したのである。


彼の為に救われたユダヤ人は約6000人に上り、現在もリトアニアのカナウスには杉原千畝の功績をたたえ、旧領事館が「杉原千畝記念館」として残されている。それはカナウスの住宅街にひっそりと佇んでいた。遠く日本からの離れたこの地で日本語の案内板を見ると私は深い感慨にとらわれた。リトアニア国内では今でも彼の名は語り継がれている。映画にもなった。


私はユダヤ人の為に必死の覚悟でビザ発給に為に座った杉原千畝さんのデスクを見て世界史の一コマに想いを寄せた。このデスクで彼はサインをしまくったのだ。本当に日本人は昨日のノーベル賞の受賞者を始め、世界の為に立派な行いをした人が多い。こういう日本人がいる事を生徒に伝える事も教育の重要な目的ではないか。


尚「杉原千畝記念館」はもう一つある。それは彼の故郷である岐阜県八百津町だ。杉原千畝、日本の外交官、早稲田大学高等師範部英語学科中退。1900年1月1日生まれ、1986年7月神奈川県鎌倉に死す。此処には彼の言葉が残されている。「一晩中私は考えた。考え尽くした。私のしたことは外交官としては間違ったことだったかも知れない。しかし私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。大した事をしたわけではない。当然のことをしただけです。」素晴らしい! 此処には多くの日本人が訪れているが平成30年には安倍首相も記帳していた。此処4日間、雨ばかりであったが、永年の希望が叶い満足して私は首都のビルニュスに戻った。まだ雨は降り続いていた。