2020年6月24日水曜日

「手塩にかける」

「手塩にかける」という言葉がある。この言葉が使われるようになったのは古くて既に室町時代にはあるそうだ。 元は膳の不浄を払うために小皿に盛って添えたものをいったが、のちに食膳に添えられた少量の塩を表すようになった。 塩は味加減を自分で調えるように置かれたものなので、自ら面倒を見ることを「手塩に掛ける」と言うようになったという。


私は今新型コロナが問題となりつつあった今年3月7日の浪速中学校の卒業式を想い出している。高校は既に1月22日に済ましておいたから、問題はなかったがコロナ騒動が出始め、中学の卒業式は出来るかどうかハラハラドキドキであったが何とか「間一髪」で予定通り挙行出来た。本当に我々は「運」が良い。私立中学校の卒業式は、まさに「手作り感」満杯で、「3年間、手塩にかけてきた生徒達」を中学校の校長先生と先生方が次のステップに送り出す重要な儀式だ。




殆どは私が校長を兼任していた浪速高校に送ってくれるのであるから、高校にとってみれば中学校生徒は「金の卵」なのである。厳密に言えば中学校は高校の併設校でそれほど大きくはない。通常、浪速中学は3クラスなので高校の17クラスや18クラスに比べ規模は小さいが、その分隅々まで心の入った素晴らしい卒業式であった。モーニング姿が良く似合う校長先生がカッコ良かった。このM校長先生はこの卒業式を最後に定年で退職されていった。私の補佐役、参謀として大変よくやってくれた。今でも感謝に堪えない。






 中学生は高校生に比べ、まだ幼いだけに学校生活において「色々とある」のが実態で、中学校の先生方は「毎日走り廻って生徒の面倒」を見て来たのである。そう、走り回るという表現がぴったりである。中学の先生方は職員室で机に座り悠然と構えているシーンなどは全くない。私は中学こそ教師としての原点が詰まっていると信じて疑わない。中学の教師が務められれば大体どこででも対処できる。高校の学年主任に相当するY学年チーフの卒業式での保護者への挨拶、最後の職員室での全教職員へのお話は、保護者との関係、手塩にかけて育てた生徒たちの行く末等、万感心に迫る良い内容であった。内情を知るものとして私には良く伝わった。このY先生、卒業式の後の3月29日にご結婚された。そして4月1日には浪速中学校の生徒生活指導部長という要職にご就任された。将来を大きく期待している人材のお一人である。

私は中学校が大切で又中学生が可愛くてならない。頑張ってくれている中学の先生方には一目も二目も置いている。高校で「ボヤッ」としている教員は一度中学校を体験したら教員としての資質が一枚も二枚も剥けるだろう。それくらい浪速中学は素晴らしい学校に育ってきた。それは「職場の風土であり文化」だ。さぼる教員はさぼれない雰囲気に呑み込まれてしまう。元来職場とはそうでなければならない。