「かひつ」という言葉がある。「何必」と書く。加筆ではない。読み下した表現は「何ぞ必ずしも」と読む。京都現代美術館には「何必館」という私立の美術館があって昭和56年、1981年の創立だから結構歴史は古い。何必館と名付けた人の名は梶川芳友氏であるが、素晴らしい名を付けたものだと思う。「何必」は「人は定説にしばられる。学問でも芸術でも人は定説にしばられ自由を失ってしまう。その定説を「何ぞ必ずしも」と疑う自由の精神を持ち続けたいという願いから出て来た言葉である。既に亡くなられた名優の樹木希林さんが好まれた言葉としても良く知られている。
私も「何ぞ必ずしも」を時に思い出しては自分の心の自由さを大切にしている。学校には長い歴史を刻んだ文化が歴然としてある。言わば定説である。確かにこれを踏襲する限りでは何ら問題となることはない。去年もその前も「ずっとこれで来ました」は通行手形となり誰も文句は言えないのが学校文化である。私は今、新中学校棟の設計を進めているのだが、何時も頭にあるのが「教室と廊下の分断」であり、特に廊下部分を有効に活用できないかという事が頭にある。「何ぞ必ずしも教室に廊下はセットで必要なのか」という問いである。言い換えれば廊下部分をもっと有効に活用できないかという命題への挑戦である。
コロナはどうも第8波の様相を示してきている。本校でも数的には総勢2600人を超える生徒の中で感染者は極めて少ないがそれでも目立つようになってきている。本校のK養護教諭は極めて責任感のある優秀な教員である。保健室の管理も素晴らしく徹底して感染拡大防止策を考えてくれており、その様相を観察していた私は一つの決断をした。元々日本の学校の保健室の在り様は“北は北海道から南は九州まで”その作りは同じようなものだ。それが日本の教育現場の実態である。誰も100年に一度と言う今回のコロナウイルスの「パンデミック」など考えて保健室を作ってはいない。そしてやむにやまれずK養護教諭は保健室前の廊下を予備スペースとして使い始めた。この光景を見た私は覚悟を決めたのである。
コロナと闘っているK先生への支援として正式に保健室前の廊下を保健室予備室として利用することを正式に認め、「領土として」渡すことにしたのである。保健室前の廊下部分は「教育相談室」「入試広報室」そして「常務理事室」「理事長室」が並んでいる中枢の場所であり、生徒が廊下に置いた椅子に据わるのが通常の光景となるのは、来客の多い場所としてふさわしくない。従って自由に空間を区分できる「壁」を作ることにしたのである。
廊下の最先端は外部に出られる非常口でもあり「がちがち」の壁であってはならない。私の要望を受けた設備担当のUさんが見事な壁を作ってくれた。それが写真である。通常は何も無い通常の廊下、時に完全遮蔽の壁となり、壁の寸法は自在に変えられ、出入りも間便な引き戸と自在に変貌するこの区切り壁は「何ぞ必ずしも」の精神を具体的に実行した一つの成功例であり私は極めて満足している。