2022年11月30日水曜日

「一灯を下げて暗夜を行く、暗夜を憂うなかれ、一灯を頼め」

 私が通勤時や学校車で出入りする「天の岩屋戸門」には夜間照明を付けていなかったので、最近付けることにした。この門を出入りするのは基本的に私一人くらいで高齢ドライバーとして十分に気を付けなければならないと言い聞かせている。又この門の前は夕方真っ暗になった時でも阪和線を使う生徒が多く通る道だ。明るい時には自動的に消灯され、暗くなると自動的に点灯するLEDだから、安心した。このわずかな灯りが周囲を明るくさせ、何か心まで温かくなる感じである。一般の通行人にも歓迎されるだろう。「光」「ともしび」「灯」「燈火」などの響きを聞けば、直ぐに私は次の名言を思い出す。 


「一灯をさげて暗夜を行く。暗夜を憂うなかれ、一灯を頼め。」大好きな言葉で私の生きる“よすが”としている。江戸時代の儒学者佐藤一斎(17721859)の言葉である。この格言は「一張の提灯を下げていれば暗い夜道も暗い闇も怖がることはない。ただ自分の足元を照らすその一つの灯りを頼りにして歩き進めばよい。」ということを言っており、翻ってどんなに先が見えないような窮地に陥ったような場合でも嘆き、悲しんだり、惑うことなく自分自信の生き方、志を信じて進めばよいのだとの意味が込められている。誰もが立ちすくんでしまうような暗闇の中で、不安に包まれて歩む時に足元を照らしてくれる灯りがあることはどんな力強い支えになるか分からない。その灯りとなる意志や目標をしっかりと持ち、その光が照らす道を力強く歩み進んで行けよと教えているのである。 

今日は今年最後となる「公開授業」があった。登場人物は前回に次いで女性で国語の先生だ。常勤講師2年目で可能性を買って明年4月、専任教諭として採用することを考えている。平成18年に出来た新しい学校、奈良県樫原市の中高一貫6年制の私立「中等学校」から大阪教育大に進んでいる。この中等学校からと言うのは本校では初めてであり、興味があった。関係深い千早赤阪村から水越峠を抜ければ御所に至るがそこがご実家であり、何かご縁を感じた。授業は先生の自信が垣間見え、これに反応して生徒も生き生きと取り組んでおり、Jamboard とClassroomというソフトを駆使したICT教育は立派であった。時に「奈良弁」が出る力強い好感の持てる授業であった。 


公開授業に参観した今年の10人の専任候補者はいずれも私を満足させた。学校は教師と生徒の為のものであり、専任教諭の資質は学校の運命を左右させる。それだけに私は慎重であり採用には臆病である。これで今年の公開授業は終わった。次は「小論文の提出」を求める段取りである。2000字の論文に先生方が何を書いてくるか非常に楽しみである。これら10人の先生方も今は決して暗夜ではないが、常勤講師を身分とする毎日である。生涯教師として教壇に立ち、自己実現を図るために本校の専任教諭を目指して欲しいと思う。自分の輝く将来を見詰めて燈火、すなわち「自分の志をただ一灯として頼り」、前に進んで欲しい。教師と言う職業ほど素晴らしいものは無い。