2023年6月14日水曜日

6月は「さよならの季節」

 6月は「さよならの季節」でもある。民間企業はこの時期株主総会があり人事異動の季節でサヨナラの場面が多い。学校は6月には無く、卒業式のある3月が該当し、生徒やPTA役員や教職員の入れ替わりがある。しかし本日、珍しく“さよなら”があった。名物であった「赤ポール、3面時計台とのサラバの日」となった。新校舎建設時に多くの時間を割いて検討し、特別に造った物で、8年の間、時を知らせてくれたこの赤の時計台が遂に撤去された。新中学校棟建設の敷地内に有り、何とか他の有効利用先をと考えたが、撤去、移設の費用を考えると、どうしようもなく廃棄を決めた。「長い間、お世話になりました」と私は現地で別れを告げたのである。 


10時には本校の制服を一手にお世話してくれている最大手の制服会社(株)トンボのH大阪支店長さんがご転勤で岡山本社に移動されることになり、後任のT支店長さんと共にご挨拶にきてくれた。立派な支店長さんであり、何時も入学が決まった生徒の制服採寸を自らやっておられた光景を思い出す。先の100周年では全ての行事に参加して頂き、極めて多くの寄付金も頂いた。私もサラリーマン時代を思い出し、「サラリーマン物語」に花が咲いた。今後ともご健康でご活躍を祈念申し上げた。

 

11時30分には明後日、日本をたってスエーデンに帰国する留学生のL君が担任と挨拶に来てくれた。長身でハンサムボーイ、多くの良い影響を本校生徒にも残してくれた。私は感謝の思いがあって昼食に招待した。さよならランチだ。昨年9月に大阪に到着し12日から登校を開始し、約10か月間の留学だった。素晴らしい好青年で両親とも大学教授という一家に育ちスポーツ好きな留学生であった。今年の5月にはストックホルム大学で言語学を研究している母親が大阪大学との連携で大阪に来られその時に本校にも来てくれた。母親がその時に息子さんを「マイ、ベイビー」と言っていたのが今でも強い印象となって残っている。世界的に有名な大学教授でも「こうなんだなー!?」と母親と息子の関係は世界共通なものだと得心した。 


今日は時間が有ったので前述したように、さよなら「クイックランチ」を急遽持つことにしてL君との別れを惜しんだ。彼はもう「日本語がペラペラ」になっており、スエーデンに帰れば母国の高校で更に3年間学び、その後大阪大学か北海道大学に進学希望だと言う。私は強く阪大にするように勧めた。浪速との絆が今後とも続くことになるからだ。しかし海外の保護者の教育方針が素晴らしい。子どもを自由に海外の高校で学ばせるのである。高校に4年間行くことなど全く問題にしていない。そして海外の若者の志と柔軟さに今更ながら驚いた。本校は勿論この方針で進めており成果も出つつあるが更に加速させ内向きから外向きにしないと日本は駄目になる。 


午後のかかりには理事長特別クラブである雅楽部と神楽部に「奉仕料」の授与式を行った。神社神道の学校として最も私が大切にするクラブである。先の開校100周年奉祝祭でも素晴らしい雅楽と舞楽を学院神社の大神様に奉納してくれた。年に2回、私が奉仕料を手渡して感謝の言葉を述べ、激励するのが習わしになっている。この2クラブだけは今後とも理事長直轄のクラブとしたい。学校のアイデンティティを直接示してくれるクラブだからである。最近ではその名も府下に通り、外部演奏の依頼も増えて来た。大変結構な事であるが特に雅楽の楽器をものにするには相当のお稽古が必要で部員数の確保が何時も私の頭を悩ます。