2023年6月27日火曜日

教員こそ学校の宝物!

 やはり、何と言っても「教員は学校の宝」である。これだけは間違いない。良い教員ばかりなら理事長などどうでも良い存在だ。ただ宝物の条件がある。誰でも彼でも宝ではない。どのような教員が宝であるか、ここで定義するのは難しいが、結局は「人間性」だと思う。「社会人としての常識」を持ち、組織の中で周囲と上手く調整しながら「目標に向かって努力する人」の事だ。その為には「礼節を重んじ謙虚」でなければならない。「時間軸と主に成長」していかねばならない。「時の止まった人」は宝物ではあり得ない。このように書くとこれは一般の社会人なら誰でも、公務員でも民間企業人でも全く同じことであり教員とて特段変ったことではない。ただ「学校の先生」は生徒や保護者から「先生、先生と呼ばれ」、どこかに行っても「えー、貴方は学校の先生ですか?どこの学校ですか?」などと尊敬のまなざしで何回も何回も言われ続けて来ると「おかしくなってくる」のが教員の持つ「業」みたいなものだ。貴方が偉いのではなくて学校の先生という職業が偉いのである。 

5月25日に男性教諭3人、そして昨日6月26日に今度は女性教諭3人の専任採用後の1年間の研修発表会があった。最近ではこの種の研修会はもう理事長としては参加を免じて貰っているがこの研修発表会だけは絶対に出席して講評しなければならない。わずか3年程度の常勤講師の経験だが、一応多くの目で観察し、管理職が推薦して来た候補者の中から「この先生は本校発展の為に必要か否か」を最後は私が判断して専任教諭に採用したのだから、私には「重い、重い採用責任」がある。採用して後で「失敗したー!」と嘆いても後の祭りだから、採用には慎重を期しているが、それでも中には「よし、これで終わった。死ぬまで飯が食える」と思ったか、どうかは知らないが徐々に変質し、腐臭を放つ馬鹿な教員が出て来ないとも知れないから、この種の研修会で私は「口が酸っぱくなる」くらい訴えるのだ。 

2回目の研修発表の後でも私は時間を取って教職員に語りかけた。「自らを知り、謙虚であるべき」と。そして理事長が発信しているアラウンドから何かを学んで欲しいと話した。忙しい学校の先生は自らテーマを探し、勉強する時間もそう簡単な話ではないだけに、貴方方を採用した理事長が発する言葉から、時に周辺を知り、先生として自覚するには格好の料理が目の前にあるのだから、それを食し、この「理事長は何を自分たちに伝えたいのかを考えよ」とまで話した。そして更に今朝は6名の教員、「宝物の卵」を部屋に呼んで畳みかけるように更に「この学校の設置者としての存念」を話し、身体に気をつけて頑張って欲しいと激励し、開校100周年記念焼酎をお一人づつプレゼントしたのである。「盃の契り」に代わるものである。 





特に今回は一旦専任の切符を手に入れ、そこそこ仕事が出来るようになると「隣の芝生」が良く見え、他の学校に代わってみたいと思うのも居るが、結局「浪速に戻りたい」と後で後悔しても復帰の可能性は無いと話した。今を一生懸命に生きることこそ、教師として成功の道だと諭したのである。本校で講師から教員になり、教諭になり、そして最後は立派な教師に育って「人生の自己実現」を本校で果たして欲しいと話したのである。