「地鎮祭(じちんさい)」とは、土木工事や建築工事を行う際、工事が無事に終わるように神主さんを招いて「安全祈願」をする儀式のことで、その土地を守る「氏神様」に土地を利用させてもらう許可を得て、工事の安全を祈願するという意味である。今日6月12日、請負の南海辰村建設さんの主導で「新中学校棟の地鎮祭」が9時から行われた。生憎、朝方は小雨模様であったが、式典の始まる頃は上がり、まさに「雨降って地固まる」と言う状況になった。雨は決して悪くはないし、「恵みの雨」という表現もある。元々は何かトラブルが発生したが、それが解決してしまうと、それが発生する前よりかえって良い状態になっていることで、往々にしてそういうものであるという「達観」である。語源を調べてみたが江戸時代の「毛吹草」や「浮世草子」にその用例が見られ、少なくとも約400年間は日本人の多くの人々によってこの言葉は好まれて良く使われてきた。私も時々使う。
類語や関連語も多く、 楽あれば苦あり、災いを転じて福となす、禍を転じて福となす、怪我の功名、塞翁が馬、失敗は成功の基、台風一過、七転び八起き、案ずるより産むが易し、(私もゴルフでよく使う言葉)結果オーライ、気持ちの良い言葉ばかりである。大正12年(1923)4月30日、校舎が間にあわず工場の建屋を借りて204人で開校され、その日から直ぐに授業とした旧制浪速中学校は1年後、ようやく手にした校舎も府立梅田高等女学校からの移設と言う状況下にあった。が、まさに「雨降って地固まる」ではないが先人のご努力により今、我々が恩恵に預かっている「今日の隆盛」がある。100年の間には様々な試練があったが、時代時代の人々の頑張りで「災いを福に転じ」今日に繋がった。全ては「学校があればこそ」である。学校が無ければ生徒も教職員も、「今に生きる私たち」はこの地で同じ絆で結ばれてはいない。この認識が最も重要である。
地鎮の儀は滞りなく進み、見事に終わった。「神酒拝戴」の後、私はご斎行頂いた坐摩神社宮司様、南海辰村建設の社長様以下設計工事の方々、ご参列頂いた本校役員、PTA、同窓会、ファミリーの方々総勢58名の方々に私の思いと御礼を申し上げた。多くの拍手を頂き恐縮した。特別に中学校生徒の代表たちも勉強に参列させた。これから年末まで約半年をかけて地を固めるために極めて多くの杭を打ち、来年から建物工事に入る予定である。地上6階建ての先進的な建物でこのような設計の校舎は日本で初めてというくらいの建物を作る。完成時期は令和7年3月、この年は大阪万博の年で大阪が世界に雄飛する年で浪速中学校も一段とその名を大阪中に響かせて欲しいと思う。私は何か一区切りをつけ、身体中に安堵感が広がった。