2023年6月30日金曜日

「うまし国」伊勢

 昨日は「伊勢」に赴いた。神宮の参与、評議員会があって大阪代表の一人として参列した。会議そのものは「粛々」と進み、令和5年度の活動計画など「満場一致」で議決された。「拍手による賛否」を問う方式だ。十数年この会議には出ているが、全て満場一致で、このやり方である。神宮とはこういうもので神職の世界とは元来このようなものだと思う。本校も神社神道の学校であり、かくありたいと思う。顔を伏せての挙手などあり得ない所業である。特に今年は明治天皇が神宮のご神威発揚の為の「神宮大麻」の全国頒布が始められて150年の節目に当たる。又昭和28年に神宮崇敬会が設立認可を受けて70周年を迎えられる。又本校の「学院神社の大鳥居」は神宮別宮の「倭姫宮の第一鳥居」を神宮から頂いたもので、この倭姫宮も本年11月にはご鎮座100周年となられる。従って本年は神宮にとっても大きな節目となる行事が多い。 



私はこの年間2回の評議員会を楽しみにしている。それは記念品として頂ける陶製の人形で舞姫や舞楽の演者などである。もう何十個にもなった。今年は「倭舞」であった。神宮とは人的交流も深く、神宮会館の館長で、崇敬会のW事務局長は本校理事であり、先の神宮少宮司のK理事長も長いお付き合いを頂いているお方である。勤務員とも仲良く、今年はコロナの扱いが変わったことに伴い、通常の「伊勢修養学舎」が復活する。私は多くの勤務員の方々から「楽しみに生徒さんを待っています」のお声を頂いた。1学期の終業式の後から900人の高校生1年生を4班に分けて連れて行く。その後中学も1泊だが「伊勢学舎」としてお伊勢さんへのお詣りがある。とにかく伊勢に行くと食べ物が旨い。出される「昼食弁当の味は最高」だ。さすが「うまし国 伊勢」と言われるだけの事はあり、これは古代から言われてきていることで歴史は2000年を超える。




かつて、永遠の鎮座の地を求めた天照大御神は、長い旅の末に伊勢の地を流れる五十鈴川のほとりにたどり着き、「新鮮な海・山の幸に恵まれた美しい理想郷をついに見つけた、私はここにいたい」と願われて以来、この地は神の住まう永遠の鎮座地であり、「日本人の魂のふるさと」として愛され続けてきた。天照大御神が鎮座されて約500年後に「御饌都神(みけつかみ)」として伊勢の地に呼ばれたのが、穀物の神である「豊受大御神(外宮)」である。御饌都神とは、天照大御神にお供えする食事を司る神様で、爾来1500年の間、天照大御神に食事をお供えする「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」が毎日朝夕の二回、欠かさず執り行われてきている。食事の内容は、ご飯、カツオ節、タイ、昆布などの海藻、季節の野菜、果物、塩、水、清酒などをはじめ、「和食の原点」ともいえる品々がそろっています。まさに「うまし国」なのである。 

文献での初見は「日本書紀」にも出ており「可怜国(うまし国)」という言葉が出ている。伊勢は大和の傍(かたわ)らにある国で、「美しいよい国である。私はこの国におりたいと思う」と天照大御神はおっしゃった。本来、「うまし」という言葉は、うまい、味がよいという意味であるが、もう一つは物に対する賛美の気持ちをあらわし、立派な、素晴らしい、良い、美しいという意味にもよく用いられている。故に、この頃の「うまし」の表記には「味」のほか「可美」あるいは「可怜」・「怜可」などという字を当てられている。私も味わい深い「うまし男、うまし理事長」でなければならないと何時も伊勢に来ると自戒するのである。