2024年3月1日金曜日

「祓え給え 清め給え 守り給え 幸い給え」

 今日は3月1日、年度末の「一斉参拝」の日であった。陳腐な表現で少し恥じ入るが、本当に月日の経つのは早い。全校生徒と全教職員を引き連れての一斉参拝は学校設置者としての理事長の重要業務の一つであり、何時も私は斎戒沐浴してこの日に臨む。そして参拝の後の「学院長講話」が重要であり、今日は「何を語るか」を数日前から案を複数考え、頭に入れて心の準備をし、当日の朝、最終的に話す内容を決める。原稿などはない。分かり易く、パンチある表現で15分もの時間を頂いた有難さを感じながら、心してしゃべるのである。まず「つかみ」と言って、生徒の関心をこちらに呼び起こしながら話を進めていく。話にも自分なりの順番がある。 


まず今日は「弥生3月」から切り出した。「春はあけぼの・・・」で始まる清少納言の随筆「枕草子」に言及し、ここからNHK大河ドラマ「光る君へ」へ話が繋がる。これは光源氏のモデルとも言われている栄耀栄華を極めた藤原道長と紫式部の物語であり、式部が今に時代なら間違いなく「ノーベル文学賞」は間違いないとまで言った。この辺で生徒の目は輝いてくる。そして国風文化の平安時代へと話を展開し、時代背景と清少納言や紫式部という女性活躍の時代を語った。二人は同じ時代を生き、今に残る名作を我々に残してくれたと言い、私は1000年以上も前には女性の時代だったとも言い女生徒を激励しているのである。そして奈良、平安、鎌倉、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と時代は繋がり、今「君たちがこの世に存在している」と話しのピークを持って来た。最後は「いじめ問題」に話は展開して中盤は終わった。字数の関係で詳細は省く。 


そして終幕に私が話したのは「参拝時の形」であった。神社神道の学校に学ぶ君たちへのアドバイスとして「拝詞」について映像を使って自ら「演技指導」をした。「演出家としての理事長」登場である。本校生徒は登下校時に学院神社に向かって拝礼しているが、これについて正式な形を指導したのである。これは日本全国、何処の神社に参拝する時にも通用する儀礼であり、ただ無心に頭を下げるのも決して悪くは無いが、正式なことを知っているのは大切な事である。心の中でつぶやくのも良いし、小さな声で口に出すのも良いが、「祓え給へ 清め給え 守り給え 幸へ給え」を出来れば3回、唱えるのが最良の方法だと私は自ら席を立って指導した。この様にして年度末3月の定例一斉参拝は終えたのである。次のチャンスは「3月18日の修了式時の神前奉告」だ。この時に話す内容はまだ決めていない。