朝10時に学校を出て、事務室、Kさんの運転で京都に向かった。昨年は主担当の当時3学年主任だったI先生の大きな車に乗せて貰って京都の中京区河原町の「お宿 いしちょう」さんに行ったことを思い出したが今年は通常に戻った。基本的に理事長が教員の車に乗る事を私は潔しとしない。秘書役の事務室勤務の職員が事故などの時を考えれば好ましいと思う。この観光旅館は知る人ぞ知る幕末の俊英木戸孝允こと桂小五郎の旧居跡にある格式高い旅館である。女将の出迎えを受けて25日から「大学受験強化合宿」をしている生徒35人への「激励訪問」であった。1昨年から利用している旅館でサービスには満足しているから今年もここにしたのである。諸物価値上がりで安価な本校施設の千早赤阪村の「多聞尚学館」でした方が良いのではと担当の先生方に水を向けたが、たまには環境を変えるのも良いかなと思い了承した経緯がある。
「お宿 いしちょう」は元来、「石長」と書くらしい。当主の姓「石井」の石を取り、「長」は長州藩の長を貰って、当館の氏神神社の宮司よりのお言葉で「長」は長く栄える意味が含まれているとの意味合いから、「石」と「長」で「石長」の名が刻まれるようになったと女将から聞いた。読み方も、本来なら「いしなが」か「せきちょう」が正しいのですが、この時のお言葉が「お宿 いしちょう」とするようおおせつかり、現在にいたっているとの事だった。確かに「長」の漢字には長い、長寿、成長,とこしえ等々良い意味が多い。頑張っている生徒達には格好の良いお宿かも知れない。
このように夏の間は修学旅行で京都に来る学校も少ないから結構良好な宿泊場所が取れる。広い館内は大学生とか本校みたいな高校生だから安心であり、高校3年生の中で偏差値の高い大学を目指している生徒が今日から8日間、毎日「受験勉強」と闘う。教員も入れ替わり京都入りして指導をしてくれる手筈で、校長は伊勢だから校長訪問は31日である。生徒への差し入れとして「焼き立てパン」を山ほど持って来た。話した内容は一に「努力」、二に「努力」、三四が無くて五に「努力」である。時に私自身の高校生時代の話を交え、これからの人生へのキックオフとなるような学習合宿となるように幅広く話した。時間は30分、生徒は受験生だからその目は輝きしっかりと聞いてくれた。
明治維新の元勲として知られる木戸孝允の旧居跡に建てられたこの旅館であるが、孝允は幕末には桂小五郎と名乗り、その妻が元芸者の松菊である。夫唱婦随、仲の良かった孝允は何度も彼女に救われている。47歳と言う若さで早世したが、とにかく大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えら、私はここにくると木戸孝允の実物の写真や直筆の手紙などを見るのが楽しみである。生徒たちにもこの宿は京の風情溢れるなかにある木戸孝允ゆかりの宿だと話したが恐らく頭には残っていないと思う。しかし何かの調子にこの旅館の事がこれからの彼らの長い人生の何処かにおいて出て来るであろう。近代国家となった我が国はここ京都の地を中心に、多くの若者の熱量で維新が成就したのであり、「若者の特権は自分を変え周囲を変えることが出来る」と話したがこれも幾分難しかったかも知れない。まだ頭には志望する大学への合格しかないからだが、頭の片隅には少しでも残れば、こちらは本望だ。