2024年9月26日木曜日

本校における職員会議の位置づけ

 遂に最後の最後の「コンクリート打ち」の日が来た。思えば3月から半年だから結構早かったと感じる。1階から始めて次は2階と順序立てて、遂に最上階の6階部分に到達したのが遂この前で、今日は6階天井の床の上に「塔屋」と言われる建物のコンクリート打ちだ。併せて冷暖房の室外機などの基礎も本日打ち込みがなされた。この塔屋こそ歩行階段の最上部の真上に出来、言わば「新中学校棟の最も高い部分」である。10月23日の「上棟祭」にはこの塔屋の天井部分に「棟札」が上棟される。その時に「引き綱」といって教職員や関係者が掛け声を合図に棟札を引き上がると言うパーフォーマンスである。後世への歴史の証人としてこの写真を撮る為に私は行う。神道の学校らしく、生徒や教職員の安全と発展を祈願する為にこのような祭事は欠かせない。 



お祭と言えば昨日は浪速祭で活躍してくれた有志女生徒による「100人神楽舞」のご奉仕をしてくれた女生徒と「神輿のお練り」をしてくれた「ラグビー部の強者」を招き、奉仕料を手渡した。クオカードと焼き立てパン券である。特にクオカードの額面は昨年対比で50%も値上げしており、生徒も喜んでくれた。分かり易く言えば「汗を流した者だけが何かを手にする」のである。一般の社会もこの理屈で回っている。学校とて同じことである。

 

今日は3時過ぎにまず高校、その次が中学と卒業アルバムの教職員集合写真の撮影があった。何時もの光景であるがこの時期になるともう卒業式が浮かんでくる。幾分寂しい感じがするが仕方の無いことで、高校3年生にはあと3か月、問題行動なく、晴れて卒業証書を手にして欲しいと思う。


その後8月19日以来の「職会」を持った。この職会という言い方は好きではないが今日は使った。職員会議の略称だが、何か古臭い、20世紀の学校の言い回しである。その昔はどの学校でもこの職員会議を舞台に「管理職と一部イデオロギー教員とのバトル」などあり、法改正にまで繋がった会議である。職員会議は校長の校務運営の参考意見を得るもので「最終意思決定機関」ではない。あっても無くても良い会議だが私はこの職会の意義を次のように定義している。本校はICTやネット環境が完全に整備されているから一々理事長が顔を見ながら話す必要も無いのだが、そうは言っても月度に一回くらいお互いに顔を見て同一場所で学校設置者から「ワンボイス」で学校法人の経営状況と公立私立を取り巻く状況について聞く事は意義あることだと考えているからやっている。

今や実態に合っていない職員会議であるからネーミングを変えても良いが、まあ昔の名残で会議などしないのに職員会議としている。今日も私は①9月から開始した3Sの状況と教職員の土曜日の有効活用状況②生徒への体罰と女生徒との距離感③常勤講師の先生に対して学力伸長への努力④新中学校棟の工事進捗状況⑤10月から部活動指導手当の単価を50円アップする等々、詳しく話した。勿論全般は非常に頑張ってくれている教職員への感謝の言葉を口に出し慰労するのは当たり前であるが、それだけで終わっては組織のトップは務まらない。言い難い事、相手が聞きたくない事を言えるかどうかが問われている。トップは逃げてはいけないのだ。その行為が結局は教職員を救うことになる。指導である。